もし読者がシェイクスピア作品に、いわゆる理想的な、魅惑的な女性像を期待しているとしたら、残念ながらシェイクスピアはそれに応えてくれません。彼女たちは男たちにとっての「女神㡊??や「魔女」ではなくて、シーザーやオセローと同じように、長所と短所を併せ持った一人の人格なのです。マクベス夫人やリーガン(リア王)には、女性特有の残酷さが付け加えられていますが、彼女たちは決して単なる「魔女」ではありませんし、クレオパトラは大変魅力的な女性ですが、「女神」どころかわがままで打算的な女王という一面も否定できません。ーー花の美しさはない、美しい花があるのだ、という小林秀雄の有名な言葉を真似て言えば、シェイクスピアは、永遠に女性的なるもの(ゲーテ)ではなくて、時に魅力的で時には醜い、生身の女性たちのありのままを描こうとしているのです。
「私は女神が歩くのを見たことはない/私の恋人は大地の上を歩く/でも天に誓って私の愛する人は/類まれな人だ」(ソネット130)