だけど読んでいて、熱くなるのは、何だろう?
昨今では若い人たちの中でも、
右的な思考も増えている。
それは、別におかしなことではなくて、
ふにゃふにゃした現代で、
ふつうのことだと思う。
けど、この文を読んでもあつくなる。
結局、右とか左とか関係ないんだろうな。
どっちでもいいんだ、ほんとうは。
自分たちが自分のようにちゃんと生きれれば。
満洲事変 支那事変 大東亜戦争
貴様らの代りは 一戔五厘で来るぞ と
どなられながら 一戔五厘は戦場をくたくたになって歩いた へとへとになって眠った
一戔五厘は 死んだ
一戔五厘は けがをした 片わになった
一戔五厘を べつの名で言ってみようか
<庶民> ぼくらだ 君らだ
そのころ 葉書は一戔五厘だった
兵隊は 一戔五厘の葉書で いくらでも召集できる という意味だった
〈陛下の赤子(せきし)〉つまりは〈一戔五厘〉ということだったのか
そういえば どなっている軍曹も 一戔五厘なのだ
一戔五厘が 一戔五厘をどなったり なぐったりしている
ぼくらは 権利ばかり主張して
なすべき義務を果さない 戦後のわるい風習だ とおっしゃる (まったくだ)
しかし 戦前も はるか明治のはじめから 戦後のいまも
必要以上に 横車を押してでも 権利を主張しつづけ その反面 なすべき義務を怠りっぱなしで来たのは
大企業と 歴代の政府ではないのか
政府とかけて 何と解く
そば屋の釜と解く
心は言う(湯)ばかり
心の中のチョンマゲ野郎が しきりに袖をひいて 目くばせする (そんなことをいうと 損するぜ)
ぼくらの旗は 暮しの旗だ
ぼくらは 下手でも まずい字でも
じぶんの言葉で 困まります やめて下さい とはっきり書く
ぼくら こんどは後(あと)へひかない