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ことばと国家 (岩波新書)

価格: ¥756
カテゴリ: 新書
ブランド: 岩波書店
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よい ★★★★☆
人の使うことばについて、「その使い方は間違いだ」などと、時に嘲笑とともに断じてしまうことがある。だがそれは、国家語、標準語、標準的な文法などといった制度的構築物側にたった視線にすぎないことが本書では示される。「誤りを作るのは規範である」(p.70)。「標準」という目がねをはずしてことばを眺める目を、本書で著者は教えてくれるだろう。
ことばの差異への差別 ★★★★☆
言語学的には、言葉の間に優劣はない。標準語より方言が劣っているということもないのである。
しかし実際には、方言が揶揄されたり、矯正されたりすることもあるし、自ら「直す」人もたくさんいる。
また、フランス語のようにプレスティージが高いとされる語もあれば、ちゃんとしたことばになっていないと軽蔑される言語もある。
この新書では、こうしたさまざまな言語の権力や差別、言語の概念にいかに政治が介入しているかといったことを述べる。
そもそも、言語をいくつあるかと数えることも容易ではない。例えば、東京の人が東北の方言を殆ど何もわからなかったとしたら、
これらは同一言語の方言であるというだけでなく、別の言語としてカウントすることさえ可能である。
さらに、母語、すなわち自然に身についた第一言語にも重点が置かれている。母国語という言い方はおかしいと言うが、
なぜなら母国語というのは母国の国語であり、もしもある国があるひとつの言語を国語と決めている中で、
移民や社会的地位等の理由で他の言語を普通に身に着けていたらその人にとって母語は母国語とは異なるということになるためだ。
本書はことばの地位や差別や闘いについていろいろ書かれているが、特に母語に対して弾圧を受けた人々の歴史、
「乱れた」「くずれた」と言われる言語の歴史や捉え方についての記述が印象深い。
母語として自然に学んだ言語に正しいも間違いもない、という指摘にはなるほどと思わされる。言葉の変化を誤りや堕落として嘆くのではなく、
変化こそ言語を生き生きとさせる本質であり、「くずれ」なくなって固定され、学習によってのみ使えるような状態になった言語は死んでいるという、
ことばそのものに着目した言語学の視点が貫かれた本。本来平等で正誤さえある意味ない筈の言語というものが、
いかに国家権力によって左右され形成されていったかが、ヨーロッパや日本など各地の例を絡めて語られている。
28年前の出版ということもあり、内容や語法にどうしても古い部分があるが、社会言語学的に興味深い一冊。
面白いです。 ★★★★★
もともとローマ帝国の言葉が何故残っていないのか?という単純な疑問から出発しまして、その解答が載っていそうな本を探していたらこの本に出会いました。「言葉は国家がかかわらないと残らない(書き言葉と話し言葉が一致しないと定着しない)」という「仮説」なのか「定理」なのか分かりませんが、ともかくそういうことがよく理解できました。自然に発生して定着するという、そう単純なもんではなかったということです。
純粋なことばへの批判 ★★★★★
 1934年に生まれた高名な言語学者・モンゴル研究者が1981年に刊行した古典的名著(1992年時点で20刷)。本書の基本的な立場は、ことばは差異しか作らず、その差異を差別に転化させるのは、国家や民族に代表されることば外の要因による、という点にある。ただし、著者はそうしたことば外の要因に「汚染」されない「純粋なことば」は観念上にしか存在しないと考えており、従ってことばとことば外要因との関係が具体的に追究されねばならない。こうして本書では、ことば(言語・方言等々)の定義、母語(近世ヨーロッパではラテン語と対をなす)の根源性、文法の政治的機能、国家語・外来語・純粋言語という考え方の政治性等が、きわめて興味深い具体例と共にわかりやすく述べられた後に、ユダヤ人や植民地住民など、無国籍の雑種言語(ピジン語・クレオール語)を母語とする人々の苦闘が描かれる。「ピジンやクレオールの研究は、およそことばがあった太古から、かつてどの言語もが経験した過程を目の前に再現している点で歴史的に、またその際、異なる言語や方言を話す人々が置かれている実際の状況を示唆する点で社会学的に、個々の国家語や民族語の位置を相対化し、これらの言語によって植え付けられた偏見から人々を解放してくれるのである」という一文は、本書の締めの言葉としてふさわしい。著者自身によれば、本書には「思いが先走ってなかみが伴わないという欠点」があるというが(歯に衣を着せぬ批判も多い)、その分問題意識が鮮明で論述が明晰である。ことばの変化をそのことばが生きている証と見なす著者の立場にも共感できる一方、教育の現場において「正しい公用語」や文法を教える必要があるのか無いのか(或いは現代若者言葉の位置付け)について、疑問を喚起せずにはいられない本でもある。とにかくお薦め。
「言語」は国家により作られるのでありその逆ではない ★★★★☆
先ず人は、生まれた時に意味に結び付けられた音声という形で母親から「ことば」を学習するものでこれを母語(母国語とは異なる)ということ、文字はその後作られるものでその作り手は国家でありその時点で「言語」と呼ばれるものであること、文法は母語以外の人が学習するために発明されたものであること、従って、「文法的に間違った崩れた方言」などの言い方は国家統治上の目的やそれに関連もするが差別目的ではあっても学としては成り立ち得ないことになる、等々、言語に対する本質的考察が素人でも感じ取られるように簡明に書かれている。