たとえばその好例は第七章「遺体の提供」のテーマである「献体」であろう。日本人と欧米人とを比較して、献体精神が貧困であるということで、日本人を非難するのが著者のスタンスである。献体にかかわる医療関係者をなんとも、理想的な倫理を実行しているすばらしい人たちに見立て、そういう御託を延延と何ページにもわたって記述されると、鼻白むというものだ。今、医療への国民の不信感は救いようがないところまできている。患者へのひどいパターナリズムはひるむところなく、患者を軽視する医師の姿は掲示板などや個人のホームページで語られている。執刀の外科医のランクが高いと、別途謝礼金を支払うわねばならないという慣習は、一部の大学病院だけではない。病室から病室をわたる大名行列はいまだ健在で、老いた老婆がやせさらばえた胸を回診が済むまで何分もさらしたままになっている。大学医局では研究費の流用が行われている。
そうした日本での医療の腐食部分を書かないで、美化した献体への空論を書き連ねても、何が「医療の倫理」であろうか。まず、医者、その家族、親族・・・など献体で強い利益を期待する人たちが「全員」献体を予約した後、考えてもいいかも知れない。献体を拒む遺族を批判する前に、著者は医療の現場の欺瞞性というテーマを一章を設けて論じるべきであったろう。