利用された切腹
★★★★★
自ら死を選ぶ「切腹」は「斬罪」とは違って、名誉ある死とされた。
「武士道とは死ぬ事と見つけたり」という極端な、武士道思想とともに
支配層に利用され、都合よく事件処理に使われてきた事が、本書を
読むとよくわかる。
一方で支配層は、数多くの配下の武士を、責任逃れのために切腹させてきた。
現代ならば、背任横領でも、経済政策の失敗でも死を賜った武士たち。
時代が違うとはいえつい比べてしまうのである。
許された行為であるということ
★★★★☆
切腹が武士の社会では名誉ある行為であったということは知っていたが、本書を読んで驚いたのは、切腹が本人があくまで自主的に行う行為であったということである。いくら望んでも切腹できない人も大勢いてその事実に驚いた。切腹が出来るということは大変名誉であるという武士社会の背景がわかる。しかし、並列的な事項が多く、読み物としてはマイナス星一つ。
行為が許可の基に遂行されるという暗黙の時代背景に、武士という生き方そのものが文化的な存在であるということも感じられる。武士として生きてきた者にとって、武士として死ねないということは、肉体的苦痛を超える事なのだろう。生きるとは、肉体的な生を意味しないその生き方に、現代の死について想う。
男として人間としての美学
★★★★☆
最近、ニュースや新聞を見ていると、自らが犯した罪を隠したり、他人になすりつけたりする事が多いような気がする。我等の先祖が持っていた死をも厭わない潔さ、強さ、が失われたように感じる。この本は日本人の潔い強さを再確認出来る本だと思う。
※新品なのに本に破れが目立つ。
武士って大変な職業だった
★★★★☆
切腹の作法等も書いてあるのかと思ったのだが、それは豆知識程度でしか
なく、ひたすら切腹の事例紹介。
でも、なかなかおもしろく読める。
他の藩との諍いを避けるため、理性的に要領よく処理したら藩主から武士に
似合わぬ行動と判断され切腹とか、藩主まで了解をとって藩札を出したら
インフレになったので担当者のみ切腹とか、とにかく藩主や家の当主に迷惑
かからないように切腹とか、江戸時代の武士はどこから切腹が襲ってくるか
わからない状況で生きていたのです。
でも切腹は一種の名誉刑であり、自分で自分の始末をつけられる存在の武士
にしか許されていなかったというのもなんだかなあという気になります。
今の政治家や官僚にこの時代の厳しい結果責任が問えれば、ほとんどが切腹
でしょう。(いや、断罪かもしれないか?)
これだけ切腹が身近であれば、江戸時代の武士は時代劇によくあるような
不正はほとんどしなかったというのもうなずけます。
日本的=サムライ的?行動様式の極地!?
★★★★☆
良し悪しの問題はともかく、映画『ラスト・サムライ』や新渡戸稲造『武士道』などが注目をされているならば、やはり「ハラキリ」の「美学」について学びたいし、知っていただきたいと思う。予想はしていたものの、武士の倫理とはいえ、やはり切腹の数だけ、さまざまな人の生き様が偲ばれてやるせない。けれども、(著者には大変失礼であるが)、さらに暗澹たる気分にさせられたのは、さきの大戦での「集団自決」、増加するサラリーマンの自殺、鳥インフルエンザの件などなどが、脳裏をよぎっていったためだ。「あとがき」で著者も言及しているが、「結局、何も変わっていないのではないか」「責任を取ったことになるのだろうか」などと考えざるを得なかった。折しも、神戸連続児童殺害事件の「元少年」が仮退院との報道があったが、これから生きながらえていくことは、死刑以上の「生き地獄」になると思うと同時に、それ以外には、「責任(の一端)」の取り方はないだろうな、などと複雑な気持ちになってもしまった。