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救われた舌―ある青春の物語

価格: ¥3,675
カテゴリ: 単行本
ブランド: 法政大学出版局
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目からウロコ ★★★★★
素晴らしい!何という天才!全人類必読!心地よいペダントリィ!彼を受賞させたノーベル賞選考者が村上春樹なんぞ選ぶわけがないっーの!
世界的市民の視野 ★★★★★
 不思議なもので、è'-è€...の名も聞いたã"とがなく、題名に特に惹かれたわã'でもないのに、「今、ã"の本ã‚'読まなã'れば」という切迫感にæ‰"たれるã"とがある。ã"の本もその一つであった。私は、事æƒ...あって、イタリア語訳で読ã‚"だのだが、イタリア語での題名ã‚'ç›'訳すると、æ-‡å­-通り「æ•'われた舌」である。イタリア語では、「舌」という言è'‰ãŒã€åŒæ™‚に「言語」ã‚'意å'³ã™ã‚‹ãŸã‚ã€èª­ã‚€å‰ã«ã¯ã€ä½•ã‹ã€å¤±ã‚ã‚Œãã†ãªè¨€èªžãŒæ•'われた話かと思っていた。ã-かã-、å†'頭のエãƒ"ソードで、è¿'所のç"·ã«å±ã†ãåˆ‡ã‚Šå-られそうになったがæ•'われた「舌」のã"とであるã"とがわかった。読み進めるうちに、ã-かã-、è'-è€...の幼時からé'å¹'期にかã'て、言語やæ-‡åŒ-とかかわる意å'³ã§ã®ã€ŒèˆŒã€ã®å­˜åœ¨ã®é‡è¦æ€§ãŒæ·±ã¾ã£ã¦ãã‚‹ã®ãŒã‚ã‹ã‚‹ã€‚「æ•'われã!Ÿ!!舌」は、すなわち、その舌がæ•'われたおかã'で、è'-è€...が、母親そのä»-から言語・æ-‡åŒ-教養ã‚'ほã-いままにå-ã'るã"とができたã"とã‚'意å'³ã™ã‚‹ã®ã§ã¯ãªã„だろうか。

 さて、è'-è€...のå°'å¹'期におã'る、貪欲なまでにæ-ºç››ãªã€Œæ-‡åŒ-・知識欲」は、すばらã-く、さらに、ユダヤ系の家庭にありがちないやらã-さ(非ユダヤ系の人é-"から見ると、過剰とすら思えるようなå®-教ç¿'æ...£ã¸ã®ã"だわり)のないとã"ろにも好感がもてた。

 ã"れほどの経æ­'ã‚'経てå¾-た、まさに「ä¸-界の市æ°'」と、è¡'いなく言いæ"¾ã¤ã"とのできるè'-è€...による、ä¸-界観、自己の心の動きへの観察ã‚'も含めた、鋭い観察力ã‚'、幼時・é'å¹'期の一人の人é-"の目ã‚'通ã-て語るã"とは、並の人é-"にはとうていできないã"とであろう。

 語学に大いなる興å'³ã‚'抱き、国際結婚ã‚'ã-ã!Ÿã!!Ÿã‚ã«ã€ãƒžãƒ«ãƒãƒªãƒ³ã‚¬ãƒ«ãªå­ä¾›ã‚'育てている私が、ç"Ÿæ'»ã®ä¸­ã§åž£é-"見たもの、それは、カネッティのä½"é¨"にæ¯"べれば、ほã‚"の何万分の一でã-かないだろうが、それでも、ずっと同じ思いã‚'ã-ていたのに、自分では言è'‰ã§è¨€ã„表すã"とのできなかった真実ã‚'、よくぞうまく表現ã-てくれたものだ、という嬉ã-いæ-‡ç« ãŒã‚ちã"ちに見られて快かった。
 ä¹...ã€...に、読み終えてã-まうのが名残惜ã-いような一冊だった。

世界的市民の視野 ★★★★★
 不思議なもので、著者の名も聞いたことがなく、題名に特に惹かれたわけでもないのに、「今、この本を読まなければ」という切迫感に打たれることがある。この本もその一つであった。私は、事情あって、イタリア語訳で読んだのだが、イタリア語での題名を直訳すると、文字通り「救われた舌」である。イタリア語では、「舌」という言葉が、同時に「言語」を意味するため、読む前には、何か、失われそうな言語が救われた話かと思っていた。しかし、冒頭のエピソードで、近所の男に危うく切り取られそうになったが救われた「舌」のことであることがわかった。読み進めるうちに、しかし、著者の幼時から青年期にかけて、言語や文化とかかわる意味での「舌」の存在の重要性が深まってくるのがわかる。「救われた舌」は、すなわち、その舌が救われたおかげで、著者が、母親その他から言語・文化教養をほしいままに受けることができたことを意味するのではないだろうか。

 さて、著者の少年期における、貪欲なまでに旺盛な「文化・知識欲」は、すばらしく、さらに、ユダヤ系の家庭にありがちないやらしさ(非ユダヤ系の人間から見ると、過剰とすら思えるような宗教習慣へのこだわり)のないところにも好感がもてた。

 これほどの経歴を経て得た、まさに「世界の市民」と、衒いなく言い放つことのできる著者による、世界観、自己の心の動きへの観察をも含めた、鋭い観察力を、幼時・青年期の一人の人間の目を通して語ることは、並の人間にはとうていできないことであろう。

 語学に大いなる興味を抱き、国際結婚をしたために、マルチリンガルな子供を育てている私が、生活の中で垣間見たもの、それは、カネッティの体験に比べれば、ほんの何万分の一でしかないだろうが、それでも、ずっと同じ思いをしていたのに、自分では言葉で言い表すことのできなかった真実を、よくぞうまく表現してくれたものだ、という嬉しい文章があちこちに見られて快かった。
 高校教師の思い出もおもしろいし、スイス山中の寒村で耳にした古ドイツ語の一語に歓喜した気持ちもわかるような気がする。
 父を亡くした長男として、母親と、異常なほどに特別な親密さを持つ親子だったが、読者として、不思議と、マザーコンプレックスに対するような不快な気持ちは感じられなかった。

 久々に、読み終えてしまうのが名残惜しいような一冊だった。