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冤罪 ある日、私は犯人にされた

価格: ¥1,260
カテゴリ: 単行本
ブランド: 朝日新聞出版
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誤解 ★★★★☆
衝撃を受けた。人は間違えるということを身をもってそれも懲役刑という過酷な経験をされた菅谷氏の
人生を克明につづったドキュメンタリーである。なぜ間違えたのか。それはDNA鑑定という科学的には証明された事実を信じ、氏を有罪へと追い込んだ当時の警察、検事らへの恨みつらみを菅谷氏が如何に受け止めたのかという一点にある。今、菅谷氏は釈放され自由の身となったが、それでも灰色であるという最後の自身の覚悟を我々はどのように受け止めたらよいのであろうか。また氏を支えた西巻氏ら支援者の活動も冤罪無罪であることへと結びついたのは全く良かったと思う。人が人を支えるという当たり前のことが中々行われない今の世を、裁判所、警察、検事や当時の取調官らは身をもって反省すべきだし、現在様々検証作業が行われている。まだまだ事件は終わっていない。真犯人は何を考える?
ある日、私は犯人になった(演じた)。 ★★★★★
09年の6月菅家さんが釈放されたニュースを知って、皆さんはどう思われただろうか?
筆者はそれまでにいつくかの冤罪事件に触れ、その種の文献にも目を通し、また冤罪とはどういうものかということを知識としては知っていた”つもり”であった。冤罪とは国家権力との戦いなのだと。
しかし本書を読み終えたあとその観念が突き崩された思いがした。本書の至る所にも菅家さんの権力に対する憎悪や屈服への後悔の念が綴られている。
だが、冤罪とは民主主義の根幹に関わる問題なのだと、本書の菅家さんの言葉から容易に悟ることができた。
民主主義とは全く知りもしない赤の他人である人の身に降り掛かる災難であっても他人事として知らぬ存ぜぬで済ましてはならないのだということである。
その意味では本書が単なるストーリーもの(もちろんノンフィクションとしてであるが)であるなら、その主人公は西巻糸子さんであることはいうまでもない。

本書を読んで菅家さんの話術のボキャブラリー(語彙)や警察への不利な供述、手紙の記述などから、たどたどしく拙く、知能が低いなどという簡単な感想を遥かに越えた菅家さんが身を挺して知らしめた民主主義の成熟度、我らが民度への警鐘であるように読んだ。
拘置所(留置場でもおなじことだが)での人権を無視した対応や検察官、刑事、裁判官の憲法を遵守しない態度など全てが民主主義の成熟度の低さから起きている事である。
本書と一緒に井上薫 著の「平気で冤罪をつくる人たち」の熟読もお勧めする。

最後に菅家さんが拘置所の中で読んだという本の一節をあげよう「冤罪になったら、もう完全なシロにはなれない。ずっと灰色のままだ」
菅家さんは本当はやったのかやらないのか?
疑わしきは罰せず。この言葉の意味を本当に理解できるかが、国家権力に対する民主主義の成熟度(力)の度合いを計る試金石になるであろう。
色々な意味で考えさせられる ★★★☆☆
検察のシナリオに最も適合する人物として菅家氏がピックアップされ、
犯人にされるまでの経緯が良く分かる。無実の罪で17年間も抑留された
菅家氏は本当にお気の毒だと思う。

ただ、足利事件の被害者である幼女の両親の気持ちになると、正直考え
させられた。(当然本人が望んだ事でないにせよ)菅家氏が犯行を「自白」
したことで、真相究明の機会は失われ、本当の真犯人が見つかる可能性は
大幅に後退してしまった。

本書を読むにつけ、「謝罪しろ!」と検察や裁判所に迫る菅家氏の映像を
TV等で見るたびに、被害者の親族はどんな思いで彼(菅家氏)を見ているの
だろう、と考えてしまう。
著者を救った西巻さん、佐藤弁護士らの栄誉を称えましょう!  ★★★★☆
 事件自体を知るには『幼稚園バス運転手は幼女を殺したか』が詳しいようで、本書は冤罪被害者本人の体験談が主になっている。

 逮捕後家族に出した手紙や、就職してからの生活状況などを見て、すぐ著者は教育の不足ではなく発達障がいではないか?との疑念が湧いた。
 菅家さんを支える会・栃木のHPには、軽い知的障がいがあって気が弱く迎合しやすい傾向はあるものの、誠実で子ども好きな菅家さんの温かい人柄が載っていたようだ(今は削除済み)。

 だとすると、警察は連続する幼女殺人事件解決の為、落としやすい著者を冤罪承知で利用した事になる。

 聞き込み捜査で、借家の近隣住民や職場である幼稚園園長が「そういえば子どもを見る目つきが怪しい」などと言った、地域の巡査が上がりこんで調べたら、アダルトビデオを多数持っていた(ロリコン物は無し)、血液型が容疑者と同じB型、やり始めたDNA鑑定で型が一致したとの不幸な事情が重なった点もあるが、警察だけではなく、検事も1審の弁護士も著者の障がいについて気付いていた筈であり、その人権意識の薄さが自白を強要し、弁護団の再三にわたる再鑑定の申し入れを裁判所がかたくなに拒み、17年半もの苦しみを生んだと言って良いだろう。


 著者の障がいについて触れられた報道は、少なくとも私は目にしていない。
 同様のDNA滅茶苦茶鑑定で2008年10月殺刑された、飯塚事件と絡めての報道でも同じ。
 これをタブー化せず、だからこそ弱者を守らねばならないとの世論を起こさねば、地域での見守りなどの取り組みも注目されず、『累犯障害者』の減少も望めまい。

 事件はまだ終わっていない。
 近隣パチンコ店で5人もの幼女殺人・行方不明(著者が勾留中の事件)が未解決のままなのだ。
 同様の手口から同一犯の可能性は高い。
 再審で冤罪が作られた全貌が明らかになり、真犯人逮捕の両方が行われねば司法への不信感は払拭できないだろう。




この事件を担当した刑事は今どんな気持ちでいるのか? ★★☆☆☆
この事件を担当していた刑事はおとがめなしなのだろうか?
「お上のやることに間違いはございますまいから」、でしょうか?