知的遊戯は脳である
★★★★☆
まずはこんな本は買わなくても、読まなくても誰も日常生活には困りません。勿論そんな尺度をあてはめたら、世の中、殆どの本が無意味になってしまいますが。しかし、この丁々発止の異文化の二人が織り成す会話の豊潤さはなんでしょうか?解剖に興味が無くても、文学に興味がなくても、知的会話が飛び交う空間が、決してデカダンスではなく地に足着いた逞しさを有していることに気づきます。そしてたとえば養老老。こういう人がはたしてここのところ進歩しているのかわからない肉眼解剖の出身であること、この意味は大きいでしょう。誰でもわかる表現を借りれば、60km安定走行するためには、100km出せる能力がある車でなければだめだ、ということです。本当かな?