アラブ人キリスト教徒に対する好意とマジョリティへのフェアな視線
★★★★☆
タイトルがいいですね。また、「新月の夜」とはいっても、ムスリムへの批判的な記述はありません。
ビザンツ帝国がイスラム帝国に敗れて以降、中近東地域で圧倒的なマイノリティとなった東方のキリスト教徒の今を描くリブレットです。本書の分量、体裁はおなじ山川出版社の世界史リブレットシリーズと同一です。
中東のキリスト教徒は、ペルシア起源のネストリウス派から東方正教会の各派、マロン派、近世にカトリックに改修したメルキト派まで、歴史ある宗派が今なおそれぞれのアイデンティティを固く守って活動を続けているとのことです。
本書ではまず各派の教義を紹介し、第2章においては著者がフィールドワークしたパレスチナのキリスト教徒一般の生活が述べられます。日本人が、イスラエルのアラブ人キリスト教徒の生の声と風俗を採取した貴重な(というか希少な)記録ではないでしょうか。また、終章ではバース党(フセインの与党だったアレ)をはじめとするアラブ・ナショナリズムにアラブ人キリスト教徒が深く関わっていたことと、教会のこれからの展望が述べられます。
知識として中近東地域にキリスト教徒が活動していることは私も知っていましたが、そのありのままの姿はこれまで皆目知りませんでした。本書においてかれらの一端に触れることができ、この地域に対する興味がさらに増しました。本書はとても貴重な記録ではないでしょうか。
中東パレスチナ地域を「複眼的」に見るために重要な視点を提供してくれる
★★★★★
本書は、とくにシリア、レバノン、パレスチナなど、東地中海地域を中心にした、中東地域のキリスト教徒について扱ったブックレットである。
圧倒的なムスリム地域において、人口の1%に満たないキリスト教徒は、同様の状況にある日本のキリスト教徒とは大きく異なる点がある。
それは、この地域においては、キリスト教のほうがイスラームよりはるかに古い(!)ということだ。つまりキリスト教は外来の宗教ではないということであり、また圧倒的なマジョリティであるイスラームとは、同じ一神教であるという共通点ももっていることである。
中東のキリスト教徒は、その長い歴史のなかで、数々の苦難を乗り越えて今日まで生きのびてきたわけであり、そのことだけをとっても賛嘆に値する。
ただし、マイノリティであるキリスト教徒を十把ひとからげに取り扱うことはできない。日本と同様、教義によって、キリスト教徒はきわめて細分化されており、それぞれの教派に属する人口はまたさらに小さなものになる。
とはいえ、アラブ世界において彼らキリスト教徒知識人たちが果たした役割はきわめて大きいようだ。アラブ・ナショナリズムにつながるアラビア語復興運動は、聖書をアラビア語に翻訳する事業に携わったアラブ人キリスト教徒が指導的役割を果たしたことなど、アラブ世界においてマイノリティであるキリスト教徒が果たしてきた役割は大きいことを、本書によって知ることができる。
本書の著者は文化人類学者で、アラブ人キリスト教徒の多い、イスラエルの港町ハイファでフィールドワークを行ってきた人である。
そのため、もっとも特徴のあるのが、第2章「中東のキリスト教徒 その実像」に記された、キリスト教徒の具体的な衣食住やアイデンティティについて記された文章である。キリスト教徒が、イスラーム世界で使われる太陰暦ではなく、太陽暦に基づく農耕暦にしたがって古代から祝祭を行ってきたということが実に興味深く思われた。
中東パレスチナを、ムスリムとは異なる視点から見ることを可能とした本書は、「複眼的な視点」を可能とさせてくれる。知的好奇心を大いに満たしてくれる内容になっている。
中東問題に関心のある人は、一読する価値があるといえよう。
現代における「啓典の民」の苦悩と希望
★★★★☆
「中東のキリスト教徒」と副題が付けられているが、シャームと呼ばれる「大シリア」、中でも特にパレスチナ/イスラエル地域におけるキリスト教徒たちに、よりスポットが当てられている。祭事・食文化・結婚・教育などの実生活に則した観点や、近代アラブ史における役まわりから現代の政治問題に至るまでテーマを幅広くカバーしている。著者の実際の滞在経験における交流等を通して得られた内容も含まれ、「そこに息づく人達」に関する情報を与えてくれる。但し、「(キリスト教が)独自の聖典であるギリシャ語の七十人訳聖書を掲げて(ユダヤ教から正式に分離した)」「(コプト正教会の)信徒数はおよそ一五万人とされ」という記載については、その適切性に疑問なしとは言えない。尚、本書のテーマに関する歴史的事象については、本書の参考文献としても記されている故森安達也氏の著作群等を参照する必要あり。