これこれこうだからでっちあげ。物証はない。
★☆☆☆☆
ぶっちゃけタイトルの通りで、事件は解決である。
裁判で被告が無罪と主張する際、上げていたのは物証以外。じゃあ警察の証拠はっていうと、全てハイテク技術で捏造したのだ。それだけである。新聞にもそう載っていたので、僕はこの人は有罪と判断した。
こんなの裁判官だってアホかって言いたくなる。人間はロボットじゃない。記憶はあやふやで、声のデカイ人がそれらしく、こうだったと叫べば、そういやそうだったかもって言う人も出てくる。だからこそ、警察は証拠集めに奔走する。鑑識って人間がいる。証拠が見つからないってときに自白を迫る。
みなさんでっちあげ、でっちあげって騒いでいるが、このバス運転手や著者がでっちあげをした可能性をどうして考えないのだろうか。片方のいい分しか聞かないのなら、猿だ。人間ならばもっと考えるべきである。そして双方の言い分を吟味した結果、運転手は有罪となったのだ。
つーか、証拠がそう簡単に捏造出来るなら民主党の誰々だって、犯罪の証拠をでっちあげられて逮捕だよ。
これからの正義の話
★★★★★
被害者である警官の妻と同じ二児を抱える母として、できるだけ遺族の立場に立って、
この本を読み進めようと決意していた。が、しかし、失望に近い憤りを読み進める中で感じる。
被害者の妻の言葉を借りて言うなら「罪を憎んで人を憎まずという言葉があります。私は監視なき場所で
権力を持った『正義』のために務めるべき人間達が行っている捏造、根回し、組織の行う犯罪を憎みます。」
である。
交通事故という物理的かつ科学的に白黒つけやすい現象に私情や権力が絡むとこれほどまでに哀れなヒーローが
生まれる現実で、どうやってこれからのこども達に正義の話をできよう?
今後、慣例的な地方権力の横行を阻止するため、私たちがもっと知る努力をすること。
その為に公平な情報の提供とこれからの展開に大いに期待をしたい。
物証とは
★☆☆☆☆
事件・事故は物証が決め手になります。
順序で言えば、被疑者の供述<被害者の供述<目撃者の供述<実況見分<物証。
このタイヤ痕については捏造されたと問題になりましたが、専門家の鑑定人から言わせれば、「タイヤ痕は簡単に捏造などできるようなものではなく、ましてや、ただの警察がこのようなものを描けるわけがない、そのタイヤ痕が描けるならウチの研究所にほしいほどの人材だ」とのことでした。
この事件については色々あると思いますが、私はこのタイヤ痕についてもっと具体的に示してほしかったです。
これが返せなければ、この事件は有罪で当然だと思います。
警察や司法の闇を教えてくれる
★★★★☆
高知白バイ事件の概略は、マスコミの一部が報道している。しかし事件の詳細は、被害者(加害者?)である片岡晴彦氏とその関係者の方が作成されたブログなどからしか知ることができなかった。その意味で、本書の出版は、より広く、この事件を世間に知らしめることになるのではないかと期待している。
高知で2006年3月に起こった高知県警の白バイとスクールバスの衝突事件は、白バイ隊員が死亡する不幸な交通事故だった。交通事故の原因は、白バイ隊員の法定速度をかなり超過したスピードオーバーにあると推定される。にもかかわらず、高知県警が作成した調書では、事故の原因を一方的に片岡晴彦さんに負わせるものとなっていた。なぜか。
本書は、高知白バイ事件を詳細にフォローしている。なぜ、この事故は行ったのか。そして事故後の警察の対応は適切であったのか。高知地裁や高松高裁での判断は適切であったのか。こうした疑問に、客観的なデータを示しながら説得力のある説明をしてくれる。しかしその説明はすべて、警察の判断とは異なるものだ。
読後、警察・検察・裁判所という組織が、真実を解明するというだけでなく、自らの組織を守るための配慮を働かせることがあることを知らしめ、そうした配慮が働くときの怖さを感じさせる。菅生事件、三井環元検事や鈴木宗男代議士の事件に通じる権力の闇を感じさせる。本書は、一般市民が権力の闇に翻弄される怖さが描かれているとも言える。
もう一つの知られざる真実
★★★★★
ネットで「あれは冤罪ではないか」と話題になっている「高知白バイ衝突事件」について、詳細な取材に基づきまとめられたものです。
事件は、被害者によれば「中学生たちが乗るバスが右折のため一旦停止している所に、猛スピードで白バイが突っ込んできてバスに衝突した」と言うものです。
ところが、警察や検察によれば「バスは右折するために直進していて、その時に左右を確認しなかったため、制限速度で近づく白バイに気づかず衝突した」ということになり、起訴され、運転手は一年以上の実刑判決を受けることになりました。
警察側の証言がおかしなことについては、バスに乗っていた中学生と学校関係者20数名と、事件の目撃者が、述べていますが、最高裁まで進んだ裁判はスピード判決が次々出て、全く覆されることはありませんでした。
この事件は、冤罪というよりは組織ぐるみの犯罪といったもので、読み進めるのがつらくなるようなひどい内容ですが、驚きはありませんでした。
こうした国レベルの冤罪事件については、鈴木宗男氏と佐藤優氏の事件の時に違和感を感じ「国家の罠」を読んで納得、その後山本譲二氏の狙い打ち起訴ならびに著作「獄窓記」で刑務所は適当な取調べで起訴された冤罪の精神薄弱者が大勢いるという内容で更に確信を強め、エコノミストである植草一秀氏の「知られざる真実」を読んで悲しみと無力感に包まれました。
国家というか個人でもそうですが、人は監視されなければこれくらいのことはやる、ということを理解する上で本書はとても有益だと思います。
文中で書かれているのはあくまで被害者サイドのみ、という指摘もあるかもしれませんが、書かれている内容は被害者の言い分の方が圧倒的に筋が通っている上に、警察側が名誉毀損などで反訴してこない、あるいは取材拒否などで強く出てこられないのはさすがに後ろめたさを感じていることがありありと伺えます。
日本は伝統的にお上への信頼感が強い国で、それが国力を高め、治安を安定させる上で役立ってきたことは国の財産であると思っています。
そうした信頼を裏切るようなこの種の事件は巡り巡って少しずつ国力を弱めることになるのではないか、と心配しています。
何よりバスの運転手の片岡晴彦氏の名誉の回復を強く祈らずにはいられません。