脳の自衛手段としての忘却
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忘れなければ、生きてゆけない子供たち。
近年、脳の研究は飛躍的に進んだ。
だが、未だに心と脳を別だと思っている人は多い。
心理学や精神科という言葉がいけないのだろうか。
鬱病を「心の風邪」とかいう風潮まである。呆れる。
鬱病は自律神経を司る脳が正常に働かなくなった状態なのに。
脳は体を生かすために、様々な判断をする。
忘却もそのひとつで、全ては生きるためだ。
しかし自殺する人間は後を絶たない。
忘れられない人間は、自力で乗り越えるか、死ぬしかない。
記憶を消す子供たちの忘却の原因は、まず大人だ。
子供を守るべき立場にありながら、子供を傷つける大人たち。
しかしその大人も、子供のころから問題を抱えている事が多い。
この輪廻を断つものこそ、忘却ではなく「乗り越える」事だ。
忘却は何も産まない。事実が無くなることはない。問題の先送りとも言える。
だが、乗り越えるだけの強さを身に付けるまでは忘却もアリだ。
どんな手段を使ってもいい。とにかく生き延びる事が最優先だ。
失われた記憶の鎖をつなぐ
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これは、実際に子供たちが特定の記憶をなくしたり、変質させてしまうことに関して、法廷の場においての論証や、映画化もされた『ブラック・ダリア』を執筆した作家であるジェイムズ・エルロイとのインタヴィユーなどを通じて、大袈裟なところのない冷静な、しかし人間らしい探究心をうかがわせる筆致により書かれた、医師の手になるノンフィクションです。それぞれの章は個人史に対する謎解きのようであり、時に法廷や捜査機関とのスリリングかつ現実的なやりとりを含む八つのエピソードは、どれも興味深く読むことができます。
子供たちがトラウマとなるような辛い体験からどうやって自分を守るのか(抑圧や解離)、またその記憶はどのような性質のものであり(時間は不明瞭に場所は明確に記憶される)、どのようによみがえるのか(抑圧の必要がなくなり、かつ知覚的きっかけを必要とする)、また偽の記憶との見分け方(徴候と症状)など、記憶の不思議が、心に響くエピソードから浮かび上がる、興味深い一冊です。
傷つけられた心の回復
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精神科医の著者が出会った、児童虐待の記憶を抑圧して、大人になったかつての子供たち。しかしその記憶は忘れ去られた訳ではなく、長い間心の傷となり、彼らをさいなむ。そして、その記憶は何かのきっかけで不意によみがえる――おそろしい記憶から逃れ、何とか心を守り、生き延びようとした子供たち。そして後によみがえった記憶によって、自分の心の傷の正体を初めて知り、それを克服しようとする人々。それに力を貸す著者や医師たち、周りの人々。その姿は、読むものの心を打つ。