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桶川女子大生ストーカー殺人事件

価格: ¥1
カテゴリ: 単行本
ブランド: メディアファクトリー
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   ストーカー規制法は、1999年10月の「桶川女子大生殺人事件」をきっかけに成立した。事件発生から法律施行まで、わずか1年1か月という異例なスピードであった。
   この法律の制定への動きを加速したのは、事件解明の過程で明らかになった警察権力(上尾署)の腐敗に対する世論の批判である。そして、その世論を喚起したのが、「ザ・スクープ」(テレビ朝日)というテレビ番組の5回にわたる特集企画だった。

   本書は、「ストーカー」というきわめて現代的なテーマを取材する過程で、「権力の腐敗」というもう1つの時代の病弊をえぐり出すに至る放送ジャーナリストの活動を、時系列的に記述したドキュメントだ。番組制作という時間的な制約もあって、冒頭から緊迫した記述が続いている。警察への質問状提出、その回答と当事者取材との食い違い、そして放映。錯綜する警察の再回答と展開する両者の攻防はスリリングなものだ。

   本書でもう1つ重要な役割を果しているのが、取材者と被取材者(被害者の両親)の関係である。この事件は、被害者のプライベートに関する、根拠のない報道が異様に過熱した事件でもあった。その経緯から、マスコミに心を閉じる両親に対して、取材班はどんな行動をとればよいのか? 父親に宛てられた鳥越の4通の手紙から、読者はマスコミの抱える課題もまた、感じ取るに違いない。(今野哲男)

極悪非道な事件の迫る! ★★★★★
この埼玉県桶川女子大生殺人事件は世間にいろんな意味で衝撃を与えた事件だった。主犯格の犯人の被害者への異常な執着と最終的には自分では手を下さず他の者に殺させるという手口など何から何まで鬼畜の所業と言わざる負えない。この事件に真正面からぶつかって行った鳥越俊太郎氏と取材班の執念そして被害者家族の葛藤と戦いがつぶさにわかる著作といえよう。この事件から10年以上経過したがこの本を読み返すことにより亡くなられた被害者そして残された家族たちの気持ちを決して忘れてはいけないと思うのである。改めてこの本を読むことにより被害者の冥福を心から祈らずにはいられない。そしてコメントとして容赦願いたいのは、かたや勝手に自殺をした主犯格の男は地獄に落ちていることを願わずにはいられないくらいこの本を読むとこの憎むべき犯罪と犯人たちに憤りを感じるのである。そしてまた犯人たちの他、警察、マスコミもある意味同罪だと感じさせられる事件でもあった。二度とこのような痛ましい事件が起らないためにも教訓としてこの本を手に取って読んで頂きたい。
結果オーライではないのか ★★☆☆☆
桶川駅前で女子大生が元交際相手のストーカーに殺された。
警察がもっと早くに対応していればなくならずに済んだ。
また、亡くなった被害者のことをマスコミが興味本位に書き立て「2度殺した」。

ジャーナリスト鳥越俊太郎がそれらに怒りを覚え、警察の隠蔽工作を暴き、自らを含むマスコミに反省を促す。
結果として警察は自らの過ちを認めざる得なくなり、ストーカー規制法制定への動きに繋がった。

結果として、それなりの成果を上げたことは素晴らしく、その過程が書かれている本書はそれなりに読み応えがある。

しかし、警察と言う権力に対してTVと言う力で対抗したからものが動いたのではないかと言う感じが拭えない。

その意味では、鳥越俊太郎を動かすきっかけともなった、元FOCUS記者 清水潔氏の書いた「桶川ストーカー殺人事件―遺言」を一度読まれることをお勧めする。
真のジャーナリズムとは何かと言うのがよく分かる1冊です。
人ごとではなかった ★★★★★
私は事件当時、上尾市に住んでいました。桶川は電車で確か、となり駅でした。私は、詩織さんと年齢が近かったですし、詩織さんが犯人と出会った大宮のゲームセンター付近で遊んでいましたし、そして何よりストーカーや変な人に狙われて、恐い思いをしたことも多々ありましたので、事件を知って、とても人ごととは思えなかったのです。この本を読んで、いろいろと真相がわかりました。詩織さんがひたすら、かわいそうなだけです。世の中には想像もつかないほど、恐い人がいるのです。そういう人と知り合ってしまう可能性が、誰にでもあるのです。
二つのジャーナリスト ★★★★☆
とても印象的だったのは、マスコミに打ちのめされている被害者の父親に対して、ジャーナリスト鳥越氏が手紙で語りかけた言葉である。 「バカな世間の好奇の目の前で頭を下げている時ではない、と思う…(中略)…好奇の視線には、ジッとにらみ返してやるくらいでいいのではないでしょうか。」

恥ずかしい話だが、わたしはこの事件をごく普通の痴情の縺れくらいの事件だと思っていた。新聞を読んでも、他にも似かよったことが多く、そういう記事を読んでも何かを変革するためのエネルギーとしての新聞記事とは思えないと思っていたからだ。

そして、電車の吊り広告の週刊誌の見出しをそのまま今回もまた、「そんなものか…」と鵜のみにしていたのである。

しかし、この犯罪が上尾署を含む警察組織の意図的な対応によって引き起こされたことが露顕したことは、逆説的ではあるが、何かを変革する強いエネルギーとなった。鳥越氏もそれを当初から意図し、被害者の尊い命を無駄にしないためにも、被害者側たる父親に立ちあがる勇気を求めたのである。

もうひとつ。

無責任な週刊誌記事、ジャーナリストとは名ばかりの人間に対しては、はっきりとそれらを拒否する自由をいかなさいといけないのだと思う。ジャーナリズムは取材の上に成り立ち得る。そう考えると、日中、テレビの同じ所に座って根拠のない話をしている人間がジャーナリストを名乗ることは羊頭狗肉も甚だしいのである。被害者を傷つけるような言動を公共の電波で行なったひとたちは、被害者家族にきちんとお詫びをしにいったのかどうか、それもとても気になった。

実証的なジャーナリズムによる似非ジャーナリズム批判 ★★★★☆
私は去年の6月まで、この事件の被害者と同じように桶川駅を利用する上尾市民だったので、この事件には特別な関心を持っていました。

私が思うにこの著作の評価すべきは2つあります。まずはワイドショーのコメンテーターの発言がいかに無責任かということです。このことについては一般的に言われてはいますが、テリー伊藤や有田芳生の具体的な発言も載っており、それがどう実際と違うかが明らかにされている。彼らは一面において優秀なのだろうが、いかに人間の感覚的確信が頼りないものかということを示している。

もう一つは上尾警察の無責任ぶりである。我々は警察が守ってくれるからこそ、税金を払ったうえ、私的な暴力を振るうことを制限されている。しかしそのための警察が何もしなかったらどうなるか、ということの恐怖をまざまざと見せつけてくれる。そもそもストーカーのような変質者に困らされている人がいたら、助けよう、守ろうという気持ちが起きるのが、普通の人間である。そのような人間性がない人たちが、市民の警護者となっている。これではやったもの勝ちとなってしまう。このような事実を暴いている。

もしも文句をつけるとすれば、「著者」とは別のライターが執筆しているため、身内に対する「客観的な」賞賛が多少鼻につくことだろうか。