「装飾は犯罪だ」を解く
★★★★☆
アドルフ・ロースは、「装飾は犯罪だ」というあまりにも有名なことばと分かちがたく結びついている。こんなにもわかりやすい言葉を残しながら、ロースの建築は分かりにくい。この住宅が完成したのは1930年、その前年にはコルビュジェのサヴォア邸がつくられている。サヴォア邸のわかりやすさ・開放感とは対極を目指したかのように、この住宅は逆説的で閉鎖的だ。
外から見ると装飾を取り去った外壁はロースのことばそのままを伝えているけれど、インテリアは、現在の物差しからすれば、あるいはサヴォア邸とくらべれば、装飾的でないとは言いがたい。
著者は、ロースの建築をつぎの4つの「いらない」によって説明している。「装飾はいらない:生活の多様性へ」「平面図はいらない:ラウムプランへ」「統一性はいらない:ミュラー邸へ」「高価な素材はいらない:着衣のような建築へ」である。
そこで著者はこう説明する。ロースが犯罪だと指摘したのは、ウィーン世紀末の、あらゆる部分を埋め尽くさずにないような装飾であり、それは住み手のものでなくデザイナーのものである。建築は本来、住み手のもであって、装飾よりも他のことに力を注ぎ、部屋ごとの必要に応じて自在に素材そのものを生かし、服を着るように内装をほどこすべきである・・・そういういう意味だったのだと。だとすれば、ロースによれば、サヴォア邸の真っ白の内部空間は、白という装飾をすべてに押しつけるものだということだったのかもしれない。
この住宅は外ヅラが素っ気ないけれど内部空間は複雑に入り組んでいる。平面図はいらないという人の設計した住宅だが、写真を平面図とつきあわせながら空間の構成を解読すると、さながらパズルのようでたのしい。
マシンエイジのサヴォア邸、アールデコのクライスラービルとほぼ同じ時、大恐慌の時代・ナチの台頭を背景としてミュラー邸はつくられた。ところは、いつも時代の波をはげしくうけるプラハ。これらを並べて見ると、世界というものを立体的に把握する手がかりになるように思う。いまぼくたちも、経済システムの大変換を迫られるこの時代にいるからなおさらかもしれない。