純粋で誠実な愛
★★★★☆
解説書によると、ジェーン・オースティンの全作品を執筆された順にあげると
・分別と多感 1811年
・自負と偏見 1813年
・ノーサンガー・アビー 181?年(1813年までに書かれていたらしい)
・マンスフィールドパーク1814年
・エマ 1815年
・説得 1818年
になるらしい。
毎回彼女の作品は登場人物の描写が卓越しており、よくこんなにたくさんの人間を文章だけで描き分けることができるよなーと感心させられます。
オースティンの小説はすべて恋愛ものです。しかも最後は必ずハッピーエンドに終わります。これだけだと「ハーレークイーン」モノですが、根底に流れるものは「純愛・誠実」で、どんなに物語があちこちに発展してもこの主軸がぶれていないので読み手も安心して読めます。オースティンの父は牧師さんだったのでその考え方も影響しているのかもしれませんね。
もう一つの魅力は主人公を取り巻く人間たちの多種多様さです。わがままな人・プライドの高い人・無関心な人・おせっかいな人・ゆかいな人・親切な人・いじわるな人・高潔な人・・・etc
こんなにたくさんのキャラクターをどうやって作ったのだろう??という疑問がわいてきます。ある解説本によると、オースティンの周囲にいた人や見聞きした情報などをもとに、高い観察力と深い洞察力であらゆるキャラクターに再構築して行ったのではないかと書かれていました。
これだけのキャラクターを設定しても、それを文章で表現する力がなければ物語の中で生かすことはできませんが、その表現力たるや・・・後世の並み居る文学者をもうならせるだけのことはあります。
・・・というわけで前置きが長くなりましたが、
<マンスフィールドパーク>の感想
主人公のファニーの心の成長がたくみに描かれています。親戚の家とはいえ、親から離れて預けられ、たった一人で心細い思いをしながら育った少女時代。エドマンドとの交流の中で本や芸術に触れ次第に自分自身を確立していきます。叔母家族とそこに出入りする様々な人々からも多くのことを学びます。若くして苦労すると人間ができるということを如実に物語っていますね。
バートラム夫妻は、最初は養女として実子とは格下に見ていたけれども、ファニーの誠実な人柄に助けられるたびに、育ての親の恩を忘れずつくしてくれる「ファニーこそが我が家になくてはならない人」として大切に思うようになります。
このあたりの心情の変化を描くのもオースティンはうまいです。
最終的にはファニーが自分の考えを一途にとおしたことが家族を救うことになったわけですから、バートラム家の恩人です。
今で言う「ブレない」人なんでしょうね。
オースティンの作品に出てくる主人公の中でファニーが一番「地味」ですが、実は一番オースティン本人に近いと言われているらしいです。
そういう意味ではファニーの言葉を通して、オースティンの考えを聞いている感じがして興味深かったです。
また、どの作品にも共通していますが、イングランドの田園地帯の美しさや季節の移り変わりなどの自然描写もとても素敵です。主人公たちや登場人物の住む屋敷や館の様子を想像しながら読むのもまたひとつの楽しみでもあります。
原文で読めたらもっと楽しいだろうなー。
内気だっていいのだ。
★★★★★
オースティン作品の中では、とかく地味だ地味だと言われる本書ですが、オースティンの中で私の最も好きな作品です。
主人公ファニーは、どこまでも謙虚でどこまでも静か、そしてどこまでも内気。その内気さがたまらなくキュートです。
私自身も非常に人見知りが激しいのですが、本書を読んでいると、それでもいいのだ、心が美しいことはそれだけで価値があるのだ、
と思えてきます。オースティンの心理描写も相変わらず巧みで、その観察眼には驚きます。
オースティン文学の常で、物語の大半は、家庭の出来事や社交上のルール、結婚問題などに費やされているので、テンポの良さを求める方には
あまり向かないかもしれません。反対に、当時のイギリスの生活や雰囲気が好きな方や、内気な方にはきっと愉しく読めると思います。
英国女性作家の大きな源流
★★★★★
『美しきカサンドラ』に収められている作品群のなかでは、彼女の知性、聡明さ、そして洞察力は、未だ荒々しさが勝っている技術に若干削がれている感もありましたが、本書の中では、磨かれて完成の域に達しつつある技術を得て、オースティンの才能が大きく開花しています。
主人公のファニー・プライス、そして彼女が心を寄せる従兄のエドマンド・バートラムを中心に物語は展開されていきますが、その他の人物達もそれぞれ主人公と同様の存在感を以って描かれています。個々の人物には読者が様々な感情を抱くような性格が与えられてはいるものの、それは、物語の中心が曖昧であるということでは決してなく、書物が一つの世界と為されるための重要な役割を担っているためです。
意見を異にする方々も多いかもしれませんが、偉大な作家と云うものは、作品世界を大きな総体として描くことに才能を発揮することができ、オースティンもその例外でないのではでしょうか。そして、それを可能にしている要素が、前にも述べた彼女の三つの才能です。詳細と全体の両立、その困難をオースティンは成し遂げており、彼女の業績は男女を問わず、後の英国の作家達に受け継がれる大きな遺産となりました。オースティンの鋭い観察力を育てた要因の一つが、二十世紀まで続く英国の悪しき家父長制度にあるというのは皮肉な話ではありますが。
ヴァージニア・ウルフの言葉は、オースティンの評価を極めて的確に表しています。「今までどんな小説家も、人間の価値をあやまりなくとらえて、それをこんなに利用したことはなかった。英文学において、最も好ましいものの中に数えられる親切、真実、誠実からこのように逸脱しているものを彼女が明示するのは、誤ることのない心、つきることのない正しい鑑賞力、厳しいまでの道徳性といった護符を背景にしてである」。
あと何回読めばいいのやら
★★★★☆
人がどれほどうつろいやすかということ、そしてうつろいやすさの絶対的な要素としての《時間》の強大さというものがほぼ登場人物全員とプロットに底流している。うつろいやすくないのは常に価値判断を見誤らないように努力して生き続ける主人公のファニー・プライスだけだ。
一見、最後には善が勝つという勧善懲悪のストーリーのようだがそうではない。そうでなくしているのは、各登場人物のもつリアリティと厚み、作者の物語および人物に対する距離の置き方だ。
ファニー以外のすべての登場人物はその欠点を露わにするように描かれている一方で、それらの欠点は悪としてではなく、人間らしさとして提示されている。例外はミセス・ノリスでこれほど卑しい人物の例は文学上、そうそうないのではと思わされるぐらいだが、物語りにユーモアというスパイスを加えている。バートラム家の人たちのファニーの捕らえ方は物語の進行とともに変化するのだが、ミセス・ノリスだけが最後の最後までファニーを嫌い、その嫌い方が断然、面白い!
奥ゆかしさ、思慮深さ、信念の強さといった美徳を兼ね備えたファニーはある意味、そうした美徳ゆえに一番リアリティに欠ける人物ともいえる。
ではファニー・プライスは何かということになるが、台風の目のようでもあり、リトマス試験紙のようでもあり、真空のようでもある。この小説の不気味さはこのへんにあるような気がする。この不気味さの正体を知りたいから、もう一度読みたいのかもしれない。
イギリスを舞台に、200年近く前に書かれた小説だが、ファニーの「性格」といい、愛よりも資産や社会的地位の維持、もしくは向上のためになされる結婚とその弊害は今の日本人にも親近感をもって読める。200年たっても人は同じ愚行を繰り返しているのか、とオースティンは嘆くだろうか。それとも技術革新が起きて、政治、社会は変化しても、人の心理だけは普遍/不変ということなのだろうか。
主人公二人は地味ですが・・・
★★★★★
やっと文庫になりましたね。
上下巻に分かれることなく一冊になったものの、値段は1500円と文庫にしては高めで、分厚いです。
後書きで訳者が書いている通り、「マンスフィールドパーク」は「自負と偏見」などに比べ主人公カップルは堅物で、非常に地味です。
私などは主人公よりもミス・クロフォードの方が魅力的に思ったほど。ただ、臆病でも、誰よりも慎重で堅実に振舞う主人公には芯の強さがあります。
「自負と偏見」や「説得」などに比べ恋愛要素は薄いですが、その分オースティンの哲学のようなものを感じました。