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今に生きる親鸞 (講談社プラスアルファ新書)

価格: ¥777
カテゴリ: 新書
ブランド: 講談社
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本格的に親鸞を知りたい人の入門書 ★★★★★
 この本から多くのことを学んだ。その中でも〈正定聚〉という考え方と、『最後の親鸞』にもあった「『知』よりも『愚』のほうが、弥陀の本願に近づきやすい」・「知識を殺さなければ嘘なのだ」という考えには目から鱗が落ちた。特に後者は、賢治の「デクノボー」を想起させた。

 吉本氏の書籍は難解のものが多い。難解な書籍理解の為に、このような話体・講演の本を同時に読むとそのアウトラインが判る。親鸞に興味のある人は本物の入門書として本書を薦めます。
枕元に置いておきたい本 ★★★★★
 最近、私が枕元に置いている一冊だ。何かに迷い、悩んだ時にめくってみる。するとひきつけられる言葉に出会う。
 なぜ人間はなにかにすがって自分の罪を消滅させようと考えたり、死後の安養の世界を夢見たりしてはいけないのでしょう。そうすると弥陀の本願の規模を小さくしてしまうからだと、親鸞は答えています。これを普遍化した言い方にすると、「人間の世界は小さな作善を選びとろうとした瞬間に、世界苦が見えなくなるようにできている」と言っていることになります。
 新書という形式から一見分かりやすく書かれているが、深い言葉に出会う。他の読者の批評を読むと、著者の親鸞思想の解釈は、仏教界ではかなり批判的なようだ。
 どうも善悪、倫理というものは、心の中に内臓しているときだけ区別できるもののように思われます。それが外部に行為や言葉として現れる場合は誤差をうみださずにはおかないようなのです。外部に行為や言葉として現れることは、善悪、倫理を共同の場にさらすことです。心の中にあるときは、善悪、倫理は個人の内にとどまっています。これを共同の場にさらすときには、必然的に誤差を生み出します。しかし、これは誤差ではなく、本質的には善と悪との転倒を生みだすのではないでしょうか。
 私が吉本思想に惹かれるのは、この親鸞の非知という姿勢を自己のものにしようとしているからだとおもう。知識を富や社会的地位と交換するのがあたりまえの社会で、非知をめざすというのはすごい発想だ。哲学を学ぶのは、そんなものはたいした事はないんだということを知るためだという。では文学を学ぶのは?人間の精神の広がりの極限を見きわめるためだと、現在の私にはおもえる。
自然法爾といいながら、そこに入らない愚か ★☆☆☆☆
吉本氏と親鸞の関わりといえば、オウム事件の関わりにおいて造悪論を引用して、麻原に対する擁護ととられかねない発言で世の非難を浴びていたのが記憶に新しい。その後も吉本氏は親鸞に関する言及を続けてきたがその一応の集大成ともいえるのがこの本だろう。

しかしながら、吉本氏はご自分の親鸞の考えに対する理解に絶対の自信を持っておられるようだが、その理解にはいくつかの重大な欠陥がある。しかもそれを指摘できるだろう歎異抄や教行信証などの記述を意識的に排除し、自分の思想に都合のよい記述の部分だけを抜き出してまとめている。

例えば話は難しくなるが歎異抄第一条(真宗には信心が必要なこと)、後序の二種深信の機の信心(信心には自分が悪人であるという自覚が必要)などについて吉本氏は全く言及せず、都合の悪いこの文献についての記述を避けている。

そのかわり吉本氏が好むのが「自然法爾」つまり信心など必要なく、全てを無知の世界へゆだねることである。にもかかわらず、この本の吉本氏の記述はその自然法爾から離れている。特にこの本の吉本氏の親鸞の善悪判断の記述は誤りと述べねばなるまい。(吉本氏は社会が悪と思っても如来からみれば善の行為があり得、それが思想の最大の眼目と述べている。そうではなく如来からみれば人間の行為全てが悪なのであるという視点を持つべきである)
吉本氏の視点には自己を顧みるなどの視点が欠けている。あるのは自分のわずかな知恵に頼った「自然」とは名ばかりの根拠のない自己肯定だけである。

人は人を救えない ★★★★☆
 共同幻想、市民運動(NPOでも同じだ)の政治性に対する究極のテーゼ、「人は人を救えない」について詳しく語られている。親鸞論は共同幻想の死滅についての政治性の問題だ。
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