まず、艦上攻撃機の搭乗員の手記である点。戦闘機搭乗員の手記は、坂井三郎など有名なものが多い。それに対して、機動の地味な艦攻乗りが機上で何を思い、散って行ったかを伝える記録は、案外と少ないであろう。
著者は天山に乗っていたが、本書のかぎりでは、天山だから、というような違いは、あまりない。ただ、飛行機に詳しい方ならおわかりのように、天山が前線に配備された時期は、すでに日本が下り坂になっているので、本書も当然ながら、華々しい勝利絵巻ではない。
つぎに、著者がキリスト教徒であったこと。当時の日本海軍において、信仰を告白した兵士がどのように扱われていたかを知ることができる。今から考えると意外なほど、公正に取り扱われていたようである。
さいごに、特攻攻撃に対する著者の思いである。著者が特攻に志願したり出撃を命じられたわけではないが、戦友の出撃を送るまでの数日の記録に、著者の特攻への考え方を託している。初めて特攻が企画されたフィリピン方面作戦の時期で、特攻という言葉すら前線の将兵が知らなかった時期である。そういう攻撃方法の存在を知らされた日本軍将兵の驚きぶりも、克明に描かれている。
本書では、著者の参加した敵機動部隊攻撃が、都合3回ほど記されている。
敵の熾烈な対空砲火をかいくぐって、次々に味方機が火を吹く中を、超低空で敵に迫る場面は、読んでいる方も尻がむずがゆくなってくる。
そして、たった1回の攻撃での損害率の大きさに、読者は驚かれるであろう。
悲といえば悲、壮といえば壮である。