もともとはポルノ映画『女子大生・はずかしゼミナール』として制作されたが、一般映画として再撮影、再構成され1985年に公開された、黒沢清監督の劇場用映画第二作。
高校時代の先輩・吉岡を慕って田舎から家出し上京した秋子(洞口依子)はさる大学に侵入するが、そこでは堕落したキャンパスライフを送る学生や、奇妙な平山教授(伊丹十三)たちがゆらゆらと生息していた。吉岡は軽薄なダメ人間と化しており、絶望した秋子は帰郷しようとする。そんな彼女に平山が“恥じらい”に関する実験をすべく声をかける。
作品のタッチは自主映画風の映像・演出が目立ち、その青臭さがいささか鼻につく。これが映画デビューの洞口を愛でるように捉えたカメラがエッチ。万田邦敏、塩田明彦、篠崎誠といった、後に監督デビューする才能たちがスタッフとして参加している。(斉藤守彦)
ロリロリよりちゃん きゃわゆい
★★★★★
内容は陳腐、ほとんどの出演者の演技は稚拙、しかしそれを補って余りある洞口依子ちゃんのロリロリぶりテントの張りを抑えるのに苦労します(笑)まあチャプター7以外は早送りでいいでしょう、内容に期待しちゃあいけませんなにせ大昔?の映画ですから。
学生が作ったような映画ですが
★★★★☆
story
秋子は高校時代の先輩を追って上京して、彼の大学にやってきますが、“恥じらい理論”を研究する教授・平山の実験材料にされてしまう。
point
学生が作ったような映画ですが、サスガに有名な監督さんだけあって、長回しのシーンや、劇部分は引き込まれます。小難しいことを考えているねぇーくだらないなぁという善良な学生さんの日常です。思い出すのは、ゴダールの「中国女」。話している内容は違うけど真剣さは同じです。こんな大学に行きたかったな。
まつりの前のざわざわ
★★★★☆
GYAOで放映していたので 20年ぶりに本作を見た。20年前はきちんと映画館でお金を払って見て以来である。
映画には それが撮られた時代がべっとりついている作品がある。この作品も好例で これを見ているだけで あの80年代の大学時代が
立ち上ってきたのには我ながら驚いた。大学の風景が まさしくあの
時代ではないか。
80年代半ばの大学というと ぴあと 「構造と力」といったニューアカデミズムの本を抱えて キャンパスをうろうろしていた。
まだバブル経済が始まる前の頃であったが 「右肩上がり」という言葉も そろそろささやかれていた頃だと思う。
そんな 何かが始まる前のざわざわした感じが この映画にも出ている。
それにしても 見直して思ったのは 岩井俊二の「四月物語」は 本作を1990年台に翻案した作品ではないかという点だ。
この2作を比べてみると 全く異なる。それが 時代なのだろうか。
80年代の空気で胸が詰まりそう…
★★★★★
「とうとう来ました、吉岡さん…」
完璧なオープニングのセリフ、そして完璧なオープニングの表情。
あとはもう、見事にスッカラカンでからっぽの80年代中期型モラトリアムの空気が、息苦しいくらいに充満している。
軽薄で退屈でのんびりしすぎていて、中身がないからスタイルばっかり借りてきてた時代。その後ろめたさの裏返しの明るさと、ほんの少しの晦渋。
よくぞ作ってくれましたと感謝したい作品。
最近の「若い」映画のように、狂気もドラッグもリスト・カットも引きこもりもない、この淡々とした馬鹿明るさは、むしろ当時を知らない若い人にも新鮮かも。
いまあの時代に戻りたいかと言われれば複雑だけど、洞口依子さんにはちょっと会いたいかな(しかしこの映画を、こんなノスタルジックな思いで見返す日が来るとは…)。
洞口依子の存在感
★★★★★
リアルタイムで劇場でこの作品見ました。まず黒沢清監督の才気に圧倒されました。あどけない洞口依子の魅力に一目でノックアウトされたと思ったら、伊丹十三演じるマッドサイエンティストにたちまち全裸にされてしまうというあまりの急展開に、洞口依子の存在感が非常に脳裏に焼き付いたのを覚えています。その頃、洞口さんのインタビュー記事に「ふだんは喫茶店でバイトしてます」と書いてあったのを見て以来、喫茶店に入る度に洞口依子がバイトしてるんじゃないかと、ドキドキしていたという程、僕の学生時代に影響力(?)のあった衝撃的な作品でした。その後、篠山紀信のGORO誌上でのヌード写真が発表されたり、月9のドラマに出演したりした洞口さんですが、僕の中ではこの映画で見た洞口依子へのときめきが未だに鮮明に残っています。