平和は「勝ち取るもの」だという意識に感銘
★★☆☆☆
世界平和、反戦とか聞くと、なにか高尚なことで自分の日常生活とは関係ないような錯覚に陥ることがしばしばある。けれど、戦争を体験した人からすれば、平和はまさに意識的に勝ち取るものであるし、平和の上に胡坐をかきつづければ、それがすっと消えてしまうことを知っている。
そんなことを読みながらふと思った。
個人的に、本書にある秋田弁での日本国憲法が好きです。
93歳の叫びを
★★★★★
もと朝日新聞の記者の方が書いた本です。日本が行って来た戦争とは何か。
日本人はどうして、問題を起こしても責任を取らずに人の性にして生きて来られたのか。
日本人は高度成長期から他者依存の生活になり、何か具合が悪ければ人のせいにする。主語がない状態で来てしまっています。
国家にも政府にも、国民にも「主語が無い」生活をしているとむのさんは叫んでいます。
バブルが弾けて思うようにいかなくなったら、全部他人の性にする、社会が悪い、親が悪い、あいつが悪い。。。。。。
だから、自分という物をますます見失ってしまった。そんな若い人が増えてしまっていると、鋭く30代の世代を説いています。
自分として自分自身として何をしたらいいのか、自分は何かを考え直すときに是非一読してみてください。
すべての世代の人にお勧めです。
帰還兵(人間)は、何故寡黙か?
★★★★☆
■ 【20年の労作です 】
(秋田県)横手市で週刊「たいまつ」(新聞)が、(凡そ30
年前の)1978年に休刊して、10年後の’89年に(仮称)
「21世紀への手紙」なるタイトルの執筆依頼が(坂巻編
集者より)あったという。構想はするものの、視力などの
体調を崩すことなどアクシデントに見舞われる。しかし、’
98年に黒岩さんの取材を受け、ようやく今年(’08年)、
刊行の陽の目を見た。20年の労作は、僅か200ページ
余り。よわい93歳の叡智の缶詰です。
■ 【大東亜戦争の報道反省と人間復活 】
章立ては、10章に分かれていますが、’45年の敗戦を境
に、それ以前の新聞記者時代と、その後の著者の信念
の吐露とに大別されます。
■ 【戦場の狂気 】
前篇の圧巻は、戦場での兵隊(男性)の有様です。戦争
体験者は、時には武勇伝こそ話しますが、得てして寡黙
で、戦場の全体像は幻だ。しかも、多くがそのまま鬼籍
に入って行っている。戦場の様子を、赤裸々に極めて具
体的に著わした本(本書)に出会うのは、初めてである。
戦場での殺人、略奪、放火、偽善、レイプなどが、何故
平然か?人間は、生殺の戦場に三日いれば、狂気を狂
気で無くなる様が描かれている。そして帰還した男性
は、妻子には体験したことを話など出来る訳がないと。
■ 【先ず、国境を無くそう 】
後半は、著書のタイトル「戦争絶滅と人間復活」の為の
ガイドである。被爆国として、又、戦争絶滅の理念を憲法
九条に持つものとして、EUの様に、国境を無いが同然
としようと叫ぶ。戦争と言う人工的な消費を惹き起す欲
深集団を生み出す資本主義にノーと言い、跪かせられ
た社会主義に『戦争を是認』したからと、苦言を呈してい
る。自らの欲望との戦いが、人類全体の滅亡(と言う自
殺行為)に深く係わっていることを訴えて止まない。
孤高のジャーナリストとともに時代に希望をみよう
★★★★★
むのたけじさんといえば、孤高のジャーナリストというイメージが強い。小生の頭に浮かぶのは、戦後、朝日新聞を自ら辞して秋田県横手で週刊新聞「たいまつ」を発刊し、権力にとらわれない情報と主張を発信し続けた、という姿である。そこには、少なくともふたつ、不正確なところがあった。朝日新聞社を辞したのは「戦後」ではなかった、と本書で知った。8月14日のことだったという。あとひとつは、「たいまつ」の刊行は一九四八年から一九七八年とのことだから、「たいまつ」時代は、むのさんの人生の中間の三分の一=三〇年間にすぎず(十分長いが)、休刊してからも三〇年が過ぎているのである。
さて、本書は、九三歳のむのさんがその人生を振り返り、どのようにしてジャーナリストになり、戦前戦後を生きてきたか、それをその時々の社会の動きとの関連で振り返り、未来に向けて何が大切かを語った書である。
上記の小生のむのイメージは、まことに貧弱で、本書で語られるむのさんの生き様は、まことに豊かでドラマチックで一般人の生きる上での示唆にも富んでいる。志は、老いても衰えることなく高きをめざす。孤高のジャーナリストには、えてして誇り高いところが目について、近寄りがたさを感じてしまうことが多いのだが、それは思ったほどでない。最後の方で、毛沢東やレーニンを斬るほどに手厳しく評したり、憲法九条の意味について時空を越えて考え、戦争の廃絶を自信を持って語るが、その反面で、むのさんは、この本をすらすら読み進めてしまうのではなく、曲がり角や要所で立ち止まって、むのは三丁目にいったが私なら一丁目に行く、という風に、むのを叩いてほしい、といっている。庶民とともに学ぼうとする姿勢である。「絶望のなかに希望はある」は、第六章のタイトルであるが、小生の場合、本書を読んだあとに、そのことがいちばん強く心に残ったのである。
むのさんの人間像をうまく引き出してくれた「聞き手」の黒岩さんの努力にも感謝したい。
絶望のなかから希望を探し出す
★★★★★
40年以上前に「雪と足と」を読んだ時以来、著者むのたけじの名は私の心の底に残っていた。新聞人としての戦争責任を痛感して敗戦後間もなく雪深い東北に去って週刊の個人新聞「たいまつ」を発行し続けた数少ない日本の良心である。その、むの氏が今や齢93を迎えてなお健在であることを知るのは喜ばしい。むの氏本人もこれまでに何回か「故人」と書かれたと言うらしいが「たいまつ」は1978年まで30年にわたって刊行され、その後も何冊かの著書が出されている。しかし、氏の本領は「草の根」の活動で発揮されており、講演の回数は3千数百回に及んでいるという。このことは裏を返せば、あらゆるミニコミを埋没させて世間の目を覆い隠す一握りのマスコミの絶大な影響力を示すものと言ってよいだろう。
むの氏は聞き手に対して「戦前と戦中のことをあまり書く必要はない、昔話をしてもしかたがない」と言ったというが、本題に至るまでの3章、とりわけ第2章の「従軍記者としての戦争体験」が読者を引きつける。それは「これまで本でも講演でもあまりいわなかった」戦場の狂気の描写にほかならない。兵士ばかりでなく同行した従軍「文化人」が「本当の戦争とはどういうものか」について何も言わない事情もここに説き明かされている。
本題とは「日本の未来」である。その内容は第5章と第6章の標題「憲法九条と日本人」と「核兵器のない世界」によって示される。むの氏はいまでも「毛沢東を愛し、レーニンに引かれている」と公言する。また、敗戦によって「日本の社会はめちゃくちゃにこわれた」とすることの中には家族制度へのノスタルジアが感じられる。もともと未来を、説得的に、構想することも予測することも難事中の難事である。ましてやこのような立場からではなおさらである。しかし、最後の第7章「絶望のなかに希望はある」の中で描かれる高校生、中学生、小学生のすぐれた人間性は感動的である。本書はこれだけの為にでも手にする価値がある。