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ドル終焉 -グローバル恐慌は、ドルの最後の舞台となる!

価格: ¥1,575
カテゴリ: 単行本
ブランド: ビジネス社
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ドルが基軸通貨の地位を失ってゆくストーリーの前半部分 ★★★★☆

著者が考えるところの,ドルが基軸通貨としての地位を失ってゆく過程の,おそらくは前半に相当する部分のストーリーである。

筆者は,ブラックマンデーから今日に至るまでの,ドル基軸通貨体制の変遷を,同時代的に体験し,かつ現在の時点から回顧的にそれを分析して,基軸通貨としての地位を失いつつあるドルというストーリーを描いている。そのストーリーは,これまでの世界経済的事象の解釈とあいまって,非常に説得的である。

本書に加え,著者の別の作品「ユーロが世界経済を消滅させる日〜ヨーロッパ発!第2次グローバル恐慌から資産を守る方法」の巻末に付された,ドルの前の基軸通貨である英ポンドが基軸通貨としての地位を失っていった経緯とを併せ読むと,ますます米ドルの基軸通貨としての終焉という仮説が,真実味を帯びて感じられる。
是非併せて読んでみるべきと思う。

この書も,「ユーロが…」の書と同じく一般向けの作品であるためか,具体的なデータはほとんど出されていない。しかし,一般読者を想定しているとしたら,それは特にデメリットにはならないだろう。
ただし,本書が扱う歴史の範囲の時系列を知りたいという読者のために,年表のようなものが付録として掲載されていれば,もっと参考になったと思う。
バブル再度の破裂 ★★★★☆
確かに今の現状は一度破裂したバブルをバンドエイドで手当てして(応急処置)、
また膨らませているようなものかもしれない。世界中で、過っての日本のように
なんでもありの量的緩和政策がとられている。恐慌とは原点からひじょうに遠ざ
かった経済活動が原点回帰を目指さして一気に調整を進めようとする経済力学である。
その力学に反して逆戻りさせているようにしか見えないと著者は指摘する。

ドル終焉のドラマは1971年のニクソンショックに始まる。その時すでにドルを
基軸とする通貨体制は本質的な意味で終わっていたのである。プラザ合意、
ブラックマンデー、アジア通貨危機、サブプライムと現在へ続く。

世のため人のためになっていないと、結局は我が身が破滅する。どうも、それが
グローバル時代の核心的真理なのではないだろうか。著者の意見に多いに賛同する
ものです。
初めて浜さんの作品を読みました ★★★☆☆
浜さんの顔が僕は大好きです。鼻っ柱が強そうなところやあの面構えが。男は50を過ぎたら自分の顔が履歴書だといわれますが、浜さんの顔も立派な履歴書です。おそらくロンドンでの体験が作り出した顔なのでしょう。欧州のいやらしい面を骨の髄まで体験した顔です。「僕はドイツが好きだからドイツがたくさんあった方がいい」なんて言う底意地の悪い記事がspectator(?)とかいう雑誌に載ったことがありましたが、この本質的な悪意をきれいな言葉でつつむのが欧州のゲームの本質なのです。本書でもこのユーロ統合を取り上げた部分が生き生きとしてます。あくまでもユーロ統合を、政治安全保障共同体を目的とする「政治」と捉える著者の観点は日本の甘ったるい夢想的な欧州統合の研究者とは一味違います。取り返すことのできない罪を犯したドイツ、ドイツが欧州で本質的に持たざるを得ない圧倒的な存在感、そしてその中でいいとこどりをしていきぬかざるを得ないよう運命付けられている小国(アイルランド、ギリシャ、バルト、旧東欧諸国)、そして小国を枠組みの中に取り込むことによって結果として抱えることになる欧州の政治経済的な闇、現加盟国の脱退という「まさか」の可能性、これらの大きな論点が取り上げられます。米ドルの没落がもう一つの本書のモティーフですが、アジア金融危機を円キャリーと絡めた部分は、類書From Asian to Global Financial Crisis: An Asian Regulator's View of Unfettered Finance in the 1990s and 2000sと共通した部分です。問題の根源であるグローバルな不均衡Fixing Global Finance (Forum on Constructive Capitalism)はつまるところアメリカという存在が「アメリカ」であることをやめなければいけないという認識にアメリカがたどり着かない限り(おたくがよろしければ!)解決しないという解決の不可能性False Dawn: The Delusions of Global Capitalismが呈示されます。
グローバル恐慌の向こう側にあるものは何か ★★★☆☆
恐慌とは新たな金好転を発見するための経済活動の自浄作用であるはずだが、いま世界は「元の木阿弥」に戻りつつある。我々は、リーマンショックから何を学んだのか。

本書は基軸通貨としてのドルの凋落と世界経済の流れを1975年のニクソンショックから、プラザ合意、ブラックマンデー、ユーロ誕生、WTO発足、アジア通貨危機と振り返りながら、今後の道のりを見通すことを試みたものである。
(※ユーロについては、個人的には納得感は得られなかったが)

そして、これらのイベントが起きたことを当然のように書かれているが、所詮後づけの感が否めない。また、「基軸通貨なきグローバル時代の恐慌は未体験ゾーンへの引き込む」(P5)ならば、(大切ではあるが)過去のイベントを振り返っても、示唆するのものが見えてこない。

事実、著者の主張としては、「最終的には人の価値観が問題となる。経済活動が人間の営みである以上、行き着くところは『人間の心意気』にほかならない。頼みの綱は人間の節度であり、『情けは人のためならず』という考え方、これがグローバル時代の核心的心理なのではないか。(だとすれば、グローバル時代は厳しくも我々に対して(知恵、良識、良心)『まともな感覚』を問うている』しか今のところ見当たらない。

個人的には全く賛成であるが、過去の振り返りから得られたものなのか、つながりが見えてこなかった。ただ、主張にあるように、21世紀は我々人間の行き過ぎた力や欲望を抑制する戦いとなると思う。
過去の経済危機を振り返るのではなく、これからの時代の示唆として、この部分を掘り下げてもらいたかった。

一方、著者のようなエコノミストが、このような主張をすることに一種の新鮮さを憶えるとともに、稀有なメッセージでもあるが、これを実現するにはどうすればよいか、これからも考えていきたい。

そして、著者が指摘する経済活動の三角形(ヒト・モノ・カネ)の歪みをどのように是正いくのか、結局のところ、実体経済が伴わないカネの流れを抑制していくしかないのではないか。カネを右から左に流し富を得る投機家の経済的付加価値はどの程度なのだろうか。

我々はどのように生きていくのか、我々が幸せと感じられる均衡点はどこにあるのか、一人ひとりが考えていかねばならないのではないか。