皇族制度の一端を垣間見られる
★★★★★
昭和天皇と香淳皇后の婚姻時の妨げとなった「宮中某重大事件」は、当時の政界を震源としたスキャンダルとして有名だ。
しかしながら、そのおよそ20年前、嘉仁親王(大正天皇、当時は皇太子)の妃選定の際にも、さらに大きな難問が横たわっていた。
嘉仁親王は幼少より病弱であり、当時直系男系男子が他にいなかったことからも、周囲はかなり気を遣て育てたようだ。
明治天皇は皇太子の妃に皇族の姫を望んでおり、白羽の矢を立てられたのが、容姿、性格ともに抜きんでていた伏見宮禎子女王だった。
しかし、その後、健康問題を理由に婚約は解消されてしまう。
この間の過程を当時の妃選びにかかわった人たちの日記など原資料を丁寧に読み解き、正確でとてもわかりやすい内容にまとめている。
内定当時の女王は8歳。そして、内定解消当時は14歳。
多感な年代の少女が、複数の医師に何度も健康診断されたり、周囲の都合で婚約させられたり、解消されたりと今の視線でみると何とも気の毒な立場だ。
妃候補だった少女(一流華族の娘ばかり)の性格や容姿を露骨に評価している周囲の大人たちの姿も、多くの日記から垣間見えてくる。
明治天皇はとても真摯に妃選びを行っている。
そして苦渋の決断の末婚約を解消した禎子女王に対する温かい心配りを見ると、さすがに人格者であった明治天皇の崇高な一面もうかがえる。
結局、妃は宮家ではなく五摂家の九条節子(後の貞明皇后)になり、彼女は昭和天皇の母となっている。
皇室の威厳が現代とは比べようもなかった明治時代。
その当時の皇室制度の一端を垣間見られる好著となっている。
隠された歴史の一面に光を当てる好著
★★★★☆
香淳皇后のご婚約をめぐる宮中某重大事件と違い,これまであまり知られることのなかった貞明皇后ご婚約の際の婚約解消事件を,正面から扱っている点は大いに評価できる.
数多くの資料に基づく検証は見事だが,推測を除けば,結局は伏見宮禎子女王の「健康問題」に帰着してしまう点が残念(歴史だから仕方ないのだが).
しかし,明治維新以前は皇族より摂家のほうが朝廷内で上位であったことや,それに起因する明治以降の皇族と摂家との微妙な溝,さらには伊藤博文など明治の元勲と天皇家との関係など,目からウロコのような事実が面白かった.
また,当時のお姫様育ちの女性がいかに健康的でなかったかもよくわかる.
次は,同じ著者による「皇族誕生」を読んでみたい.
皇太子婚約解消事件
★★★★★
皇族と言うと天皇直系の宮家しか知られなくなったが、戦前はそれ以外にも十以上の宮家があった。そのひとつ伏見宮家の禎子(さちこ)女王が後の大正天皇のお妃候補に挙げられてから、健康上の不安を理由に辞退させられたという、今日ではあまり知られていない出来事を、明治天皇からお妃の選任を委嘱された側近の日記を基に丹念にたどった好著。大正天皇のお后となった貞明皇后と禎子女王のその後を比べると歴史のifを考えさせられます。近代日本の皇室、家族制度に精通した著者ならではの作品です。