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ワールドカップは誰のものか―FIFAの戦略と政略 (文春新書)

価格: ¥819
カテゴリ: 新書
ブランド: 文藝春秋
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巨大ビジネスの闇にうごめく権謀術数の数々。 ★★★★☆
サッカーの見方が変わる本かもしれません。マラドーナがたしか90年W杯で準優勝に終わった後(別の場面だったかもしれません)、「サッカー界にはマフィアがいる」と泣きながら訴えていたと記憶していますが、本書を読んでその意味するところが分かったような気がします。と言っても本書はサッカーの本というより、政治や外交の本といった方が適切かもしれません。特に面白いのは第1部「ワールドカップと政治」で、W杯という巨大ビジネスの舞台裏でFIFAがどのような戦略をとっているか、またFIFA内でどんな権力闘争が繰り広げられているかが描かれています。あの疑惑の判定は、あの日程・組み合わせは、実は仕組まれていたのか?なんて数々の場面が脳裏をよぎったりしました。逆に第2部「南アフリカ開催の意義」は、もはや南アW杯が終わった今、積極的に知ろうとするモチベーションを保てませんでした。結局「ワールドカップは誰のものか」というタイトルに、明確な答えを出していないのも残念です。
『ワールドカップ』というKey-Wordに惹かれ、読んではみたものの... ★★★☆☆
6月10日の深夜から世の中のSportsの話題と言えば、W杯が殆どを占めている。
私の勤める会社でも、普段Soccerに興味がない同僚達まで「W杯」の話題を口にするから凄いものだ。
先日、女子Pro Golf世界一の座に輝いた宮里藍(これは日本の決勝Tournament進出より遥かに凄い事です)の話題などどこ吹く風ですから。
多分にMasscommunicationに我々が煽られている事は間違いないですけどね。

で、この本ですが、W杯のOld Fanとしては興味津々だったのに、大層なTitleの割には中身は期待外れ。
FIFAの胡散臭さを暴露しているのですが(著者は暴露本ではないとおっしゃっています)、IOCも同じような事をしている(はず)でしょうし
W杯とOlympicの舞台裏はScaleの違いこそあるものの似たようなものでしょうから、今更、論う事ではないような気がします。
確かにMicroな話題としては、94年のAmerica大会、02年の日韓共催大会や今回の南ア大会における開催地決定の経緯については
中々面白い話ではありましたが、もっとドロドロした部分を突っ込んで欲しかったのが正直なところです。

それと後半部分の南アに焦点を当てた内容には一寸疑問を感じました。
私は元々ApartheidやSowetoに興味があったし、南アのUniform仕様のPolo Shirtsを買ったぐらいですから
興味深く読む事は出来ましたが(但し、入門書程度の内容ですから、そういった意味でも中途半端でした)
「W杯」が好きで、「W杯」中心の書物を期待すると、全190頁の内、89頁‾176頁が南アの話題ですから、肩透かしを食らいます。

まぁ通勤電車の中で、時間潰しに読む書物としては使えます。
サッカーの熱狂から距離を置ける ★★★☆☆
FIFA関係の暴露本ではない、と後書きに記している割には
日本ではあまり報道されない、その政治的な攻防が書かれている。
FIFAという組織の総論を(ある程度)冷静に把握できる本。

FIFA内部は欧州閥と非欧州閥の闘争がメインで、
そのとばっちりを日本が受けたこと(韓国が巧く利用したこと)、
票田の見返りで、強引にアフリカにW杯が行った事などが
コンパクトにまとめられていました。

南アフリカ大会ということで、ラグビーの話題が良く出てきたが、
第1回のラグビーW杯はIRBの主催ではなく、
オーストラリアとNZの主催による招待大会だったと記憶しています。

もしそれが正しければ内容(p99)に誤りがあると思われます。
残念な「タイミングを逸した」書物 ★★★☆☆
「世界中で最も盛んなスポーツは、サッカーである」未だにこんなことを信じている人間は少なくないかも知れないが、それはワールドカップの狂乱的熱狂ぶりを表面上眺めて言えるだけの話であり、ワールドカップの加盟国数だけなら実はバスケットボールの方が多い、のである。スポーツなら何らかの建前が存在したのはオリンピックを見ても明らかであったのだが、FIFAはそんな「建前」を取っ払ってプロ選手にも分裂国家にも出場の門戸を広げた、ことか今日の盛隆に繋がった、と言えば聞こえは良いが、そんなイデオロギー的国家対立とアマチュアリズムの精神に拘泥する余り自縄自縛の矛盾に陥ったオリンピックを尻目に早くから巨大スポンサーとTV放送権を背景に肥大化を続けたサッカー・ワールドカップはオリンピックとは別個の問題を内包することを余儀なくされたのである。大体ワールドカップなどに熱狂するのは植民地時代の宗主国と被植民地の関係に端を発するもので、被植民地としての歴史を持つ中南米・アフリカと旧宗主国であったヨーロッパの代理戦争としてのW杯に、被植民地でなかった日本人が同調する必要がどこにあるのか、訝っていた私のような「大のサッカー嫌い」の人間にとって、あの狂乱の馬鹿騒ぎが繰り返されるのに辟易していたこの時期に発売された本書は別個の愉しみを与えてくれる、のを期待して手にしたものである、が。
あとがきで著者が、「これは暴露本ではない」と断っているようにFIFAの「汚い」やり口を追及したものではない。ただここまで肥大化してしまったワールドカップを主催するFIFAという団体の、「なりふり構わない」やり方を清濁合わせて記したものである。オリンピックと違い僅か24人の理事会で開催国が決定するFIFAのやり方には様々な思惑と利権が絡むのは当然と言えば当然であり、その「暗い」部分の話は私のようなサッカー嫌いのアンチ・スポーツマンには充分に楽しめるものである(アメリカに出場権を与えるためにユース大会の年齢詐称を盾にメキシコの出場資格を剥奪したり、独りの政治家の力で日韓同時開催を実現させたり、など)。世界中で人気がある、といっても開催はヨーロッパと中南米で交互に開催されていたW杯を、サッカーの普及の名目で「5大陸持ち回り」の法則を公言し、目的だったアフリカ大陸開催が決まるとあっさりそれを撤回してしまうところなど、FIFAの朝令暮改ぶりを追及した前半は読んでいて心地よい。
ただ後半は今回大会を意識してか南アフリカに関する記述が中心となり、南アの歴史・政治・スポーツの話(特にラグビーのW杯の話)が中心となりサッカーやFIFAの話は後退する。話はワールドカップを離れアフリカの歴史と現状と、黒人スポーツの話が延々と続き焦点がワールドカップから逸れてしまうのは「W杯南アフリカ大会」を意識してのことだろうが、やや脱線気味である。これを機会に南アフリカ紹介を、著者の意図はわかるが出版時期からすれば遅きに失した、感は否めない。少なくとも半年から一年以上前から出すべき、だったものだろうが、無論政情不安定なあの国のこと、万が一の開催不能の可能性を考慮してこの時期になってしまったのだろう。ややタイミングがずれた、書物になってしまったのが残念である。
繰り返していうが、私のように「サッカーが嫌いで、内紛・ゴタゴタの大好き」な人間には楽しめるかも知れんが、「サッカーを愛する人」「FIFAの闘争を知りたい人」には満足できない書物かも知れない。著者はサッカーを愛する人らしくワールドカップの効用を過大に評価しているが(日韓同時開催時の時のことも矢鱈と賞賛しているが、「両国の理解が深まり、距離が縮まった」とは私には思えない)、そのマイナスの部分(放送権料の高騰や不公平なジャッジ等)には目をつぶっている姿勢が余り賛同できない。最後に2018年と2022年大会に立候補している日本がどうすれば当選するか、模索しているが、あんな馬鹿騒ぎはもう結構だ、私の生きている間は。