歳月がたとうと古びない永遠の一冊
★★★★★
多才なカレル・チャペックさんの永遠の代表作ですよね。書かれたのが1929年だとすると、80年前の「ガーデナー」の歳時記なわけだが、植物を前にすれば、いくら年月がたとうと人の思いは同じだなあ、と久しぶりに読み返した。お兄さんのヨゼフの挿絵は本当にすばらしい。そして、昭和34年の小松太郎さんの訳も味わい深い。現代人はスピードと目新しさの中毒にされているけれど、これはずっと読み続けたい本、次の世代に残しておきたい本の一冊だとつくづく思う。
すべての園芸家に
★★★★☆
思い通りにならない天候にやきもきし、土作りや害虫相手に悪戦苦闘し
もう植える場所なんかないのに次から次へと苗が欲しくなり
旅先だって家の植物の具合が気にかかり、人の庭や道端の草花に目が行き
丹精した花が咲けば誰かに見てもらいたくてしょうがない。
私もそんなガーデナーの端っこの端っことして読みましたが
それだけに思わず膝を打ったり、ふきだしたりして大いに楽しめました。
1930年ごろのチェコの本とは思えない普遍性。
的確で皮肉なユーモアのあふれる文体は園芸家版「悪魔の辞典」、
魅力ある挿絵は「ソロモンの指輪」を思い起こさせます。
嵐がきたら、どうしてデルフィニウムをしばってやらなければならないのか
神様に雨乞いの祈りを捧げるとき、どうして「ラベンダーの上は避けてください」と
お願いするのか、植物がわかるとさらに楽しめます。
園芸家のドタバタ喜劇
★★★★★
何かにハマっている人というのは、本人が真剣で一生懸命であればあるほど、他人からは理解しがたい存在となります。その奇妙なというか時に常軌を逸した行動は、哀れというよりはむしろ可笑しかったりするものです。本書では、園芸を熱心な趣味としてしまった者の哀しい(?)性が、鋭い人間観察によって丹念にというよりも、容赦ないほど執拗なくらいに描かれています。
SF小説でロボットという言葉を発明し、ノーベル文学賞候補にもなったほど多彩な作風を誇るカレル・チャペックですが、自身が園芸熱に憑りつかれたばかりか、どうにも園芸に振り廻されてしまっている有様を、自虐的に綴っているとも言えます。(さらに訳者も、巻末の注釈で相当の園芸家ぶりを発揮しています。)
春の園芸家は、植物が芽を出し、茎をスクスクと延ばす様子にワクワクしています。いや、ソワソワと落ち着きがないと言った方が良いでしょう。夏の園芸家は、早く一雨来ないかとヤキモキし、降れば降ったで振り過ぎだとブツブツぼやいています。秋の園芸家は、お隣の庭が気になったり、新しい球根が欲しくなったり、止せばいいのにイソイソと出掛け、冬の園芸家は、本当の園芸家とはかくあるべしと言わんばかりに、土をフカフカさせることに躍起になっています。そして、必ずや自分の庭の不完全を発見することになるのです。
かように園芸家の生態とは、年がら年じゅう様々な衝動に突き動かされ、居ても立ってもいられず庭に出て、どうにもままならない日光と水と土とを相手に格闘し、それで満足するどころか性懲りもなくずんずんドツボにハマっていくものなのです。
それにしても、このようなユーモアの文体を私は他に知りませんが、さながらスラップスティック・コメディーのタッチと言えるのではないでしょうか。それも、ジャック・タチの映画のように、爆笑を誘うものではなく、その純粋さを愛おしむような微笑みを促す悲喜劇です。
ガーデナー☆ 必見♪
★★★★★
辛口で・ユーモラス 。 しかも・精密 で ある。 学者 で あり、 ジャーナリスト で あり、 童話作家 等など、 多彩 な 大いなる 趣味人 で あった☆ カレル・チャペック♪ *当方も、 極めて・辛口で、 図書館にて・先ず、 確認して から、 愛蔵書 と 出来る もの・のみを 購入 する。 今や 500冊は 処分・ 又は・ 差し上げて しまった!! が、 この 文庫本は いつでも 開ける 場所に 何時も! さりげなく 置いて ある。 シンプルライフ を 愛する 辛口嗜好の 当方には、 出会い=著者♪ を 堪能 させて くれた 愛おしい 一冊 で ある☆ *カバー や 挿絵 も お洒落で 好み で ある♪
チャペック入門としてお勧めです
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チャペック好きな方だけでなく、「紅茶屋さんの名前でしょ?」というカフェ好き、紅茶好き、可愛い雑貨好きな方にも、園芸入門書と思われた日曜ガーデナーの方にも、笑える本読みたいなあ、という方にも、「戦争反対、恋愛賛成」な方にも。老若男女幅広く楽しめる本です。何回読んでも爆笑。