本書の眼目は「大乗仏教の存在理由を明らかにする」ことにあるように思える。
非常に印象深いのはいわゆる「大乗非仏説」(大乗仏典は歴史上の釈尊が説いたのではないという説)とがっぷりくんでとっ組み合いをしているところである。その議論は必ずしも説得力があるとは思えないが、こういうことをやった本は他に見たことがない。大乗仏教はこういうテーマを避けて通ってはいけないだろう。
それから「スッタニパーダ」にすでに大乗仏教的な考え方が見られるという考え方も新鮮だった。
また、縁起、特に十二縁起についてこれだけ整理されて詳しく書かれている本も珍しい。十二縁起について倶舎論、龍樹、唯識の解釈が比較されている。はっきり言ってバラバラである。どうも十二縁起は分からないと思ったが、みんなわかっていなかったことがよくわかった。
この本は仏教の理論的な面での根本的な疑問にとりあえずの答えを出してくれるという意味で非常に貴重な本である。
これは私見だが、日本では神仏を「高尚なもの」あるいは「触れてはいけないもの」と無意識のうちに位置づけてしまい、自分自身の力で考え、先に進むことを自ら拒んでいるような不思議な習慣があるように思えるが、この著者は違う。自らの力で考え、しかも独りよがりにならず謙虚な姿勢で理論的に説いてく・・・、仏教に少し興味をもたれた方には勿論、実のところ、仏教に関わる僧侶の方や、専門家の方にも読んでいただきたい、と思ってしまう1冊。
丁寧に説明されてはいるものの、やはり専門用語が多くとっつきにくい部分はあるが、この種の本にありがちな、曖昧な思い込みや、単に資料を書き写しただけのモノなどとは対極にある、著者の真理を求めようとするストイックな思いがひしひしと伝わってくる名著。