独特の物悲しいリリシズム(叙情性)を醸し出す作品
★★★★★
「夢の國の薔薇色の光に包まれ」たナガサキの坂上にある日本家屋で、明治十八年の七月、海軍大尉ピエール・ロチはマドモアゼル・クリザンテエム(お菊さん)という娘と暮らし始める。弟分の下士官イヴがかりそめの夫婦の友人、良き話し相手となった。
作家の顔を持つフランス士官ロチは、ニッポンの言葉では「ムスメ」が一番綺麗な言葉だという。同じ軍艦の士官仲間四人とその日本人妻たちと街中を散策した時、仲良く手を繋ぎ、笑い合いさざめき合って買い物を楽しむ夫人たちは見事に「ムスメ」に戻っていた。
或る日、不法結婚の嫌疑を懸けられたロチは役所の小役人と強談判に及んで、戸籍登記簿に記された正規の署名を突きつけて「さあどうだ。間抜ども、見ろ!」と怒りを顕にする。「すべて変化し、過ぎ去って行く」人間と違って「常に同じ状態に再生させてゐる」自然の神秘に敏感なロチは、やたらと故国での少年時代を追想することが多くなる。
一階に住む家主の娘オユキを三味線の弟子にしているお菊さんとの仲も上手くゆかない。何から何まで違いすぎる共通点の無さが原因なのか、単に性格の不一致なのか。多分、その両方だろう。急な出航が決まって親族や友人知人との送別の宴を催し、荷物を送り出して、お菊さんともサヨナラを交わした最後の日、「私は今日程はっきりと此の國を見た事は決してなかったやうに思はれる。」と実感しながらナガサキを離れる。
原訳版が1915年(大正四年)、文庫版が1929年(昭和四年)初版の旧字旧仮名遣いの翻訳文なので、『お菊さん』はお世辞にも読み易いとはいえない。文学作品としても一流どころには及ばない。それでも、人生に対する懐疑的な想いと異国異文化に触れながらこれを心の底から楽しめない鬱屈した主人公の心情が、独特の物悲しいリリシズム(叙情性)を醸し出していて印象に残る作品である。