中国の政府と市民の意識の違いをあざやかに
★★★★☆
テレビで見る中国政府のスポークスマンの固くて生真面目で紋切り型のコメントや服装、一方で、ときどきテレビに映る上海や北京の街頭や商業施設とそこに集まる市民の日本とあまり変わらない風景やファッション、また、何かの機会に会って話す中国人の比較的柔軟な考え方、これら政治と市民の間にある落差の大きさに違和感を持っていた。また、日本国内のメディアでの中国市民に関するニュースのほとんどは反日的な内容であり、一方で、サーチナなど中国メディアの日本語サイトでは、気恥ずかしいほど日本人と日本社会を持ち上げた記事や中国市民によるコメントがある。本書は、このような違いについて、主に、テレビ、インターネットというメディア上のエピソードに基づいて、近年の中国社会の動向を紹介している。この中で特に印象的なのは、著者が現地で直に見聞した、「八〇後」という1980年代生まれなどの若者を中心とした新しい中国市民の動向である。それ以外にも、中国に関して日本人が持っている先入観をくつがえすような内容が多く紹介されている。中国人は反日的でよく分からなくて、付き合うとしたら用心しながら、という印象を持つ普通の日本人にとっては新しい中国の姿が見える内容だと思う。新鮮な印象をもった。
エピソードは盛りだくさんだが、問題意識は浅薄
★☆☆☆☆
中国のメディアの商業化について、情報の受け手であり、またネット時代においては送り手ともなっている「八〇後」(80年代以降に生まれた人々)など新たに生成した国民、および急速に国際社会にからめとられている国家との関係について論じている。内容は既知の情報を枝葉末節のエピソードで脚色した程度で、中国メディアについて一定の知識を持っている読者には物足りない。元広告マンである著者の作品はいつもそうだが、広告や広報では重要かもしれないが、学術的には瑣末なエピソードをマスコミ研究の理論書を援用して解説する手法は、しばしばこじつけの印象が強く、また読む側を息苦しくさせる。もっと企業向け、研究者向けと問題意識をはっきりさせ、深く掘り下げた方がよい。新書としても中途半端。