困ったおじいさん
★☆☆☆☆
まだ70そこそこなのにこの老衰はどうしたことでしょう。もう誰も相手にしませんが、そのことと今の映画状況に着いていけなくなったことが、このようなタイトルの本を書かせたのでしょうか。醜悪な老人です。
もう時代遅れの老人
★☆☆☆☆
東大学長になった嬉しさのあまり、40分も祝辞を述べて、顰蹙を買ったニセ男爵、もう退場してください。
私のために書かれているとは思えないが故に、★ひとつ減
★★★★☆
蓮實はティム・バートン擁護の文章で、「『風と共に去りぬ』に登場する南部の白人の老若男女は(中略)、みずからの階級意識にどこまでも無自覚なのであり、それが今日の観客にはたえがたいものと映るのだが、『Planet of the Apes猿の惑星』の「類人猿」は、あらゆる瞬間にそのことに自覚的だという意味で、ヴィヴィアン・リーやクラーク・ゲーブルより遥かに繊細な神経に恵まれているかにみえる」と述べた上で、監督も「類人猿」もその階級意識の基盤のあやうさを十分に意識しており、この「いつ崩れてもおかしくはない均衡」が、さまざまな場面に魅力を与えていると論じる(p312)。
「繊細」は蓮實が頻用するキーワードで、ポストモダンとも再帰的近代とも言い換え可能だと私は思うのだが、より興味深いのはここで蓮實が「基盤のあやうさの魅力」に言及していること。80年代半ばから女性誌に連載開始した蓮實と淀川長治・山田宏一の映画鼎談で、淀川が蓮實を「ニセ男爵」呼ばわりし続けたことや、安原顯が「そんなにエライか、東大学長」(『やっぱり本は面白い』所収)で徹底的に下衆な筆致で描き出した蓮實の小心さを、私は想起する。日本人の戯画とも噂される「類人猿」の「あやうさの魅力」の指摘に、蓮實の自己弁護、さらには東アジアにおける西欧の模造とも言うべき日本の「逆説的な優位性」の含意を、私は見てしまう。
もっとも蓮實的キメ言葉と言えばむしろ「繊細な大胆さ」で(金井美恵子の新著の帯に「繊細かつ大胆」とあったのには、悪いが苦笑)、この本でも何度か用いられている。蓮實がこの表現を使い始めた時期は未詳だが、例えば84年のフーコー論(『表象の奈落』所収)が「繊細さと大胆さの同時的肯定」を論じていて、時代状況から考えてこの「大胆さ」とはドゥルーズの「逃走の線」とか「脱-領土化」に由来するのではないか。
ほとんど話の収拾がつかないので、ムチャ強引に結論に持っていくと、「ニセ男爵」によるこの贅沢極まりない映画時評集を楽しめる人間の数は、現在ではごく限られている。そこにあなたが含まれるかどうか、保証の限りではない。以上。
貴重な人材です
★★★★★
蓮實さんのような人は貴重です。理論的なものを抑えたうえで、一線の制作動向を押さえ、個別の作品に愛情をもってのめりこむ。基本的に誉めるものだけ書くスタンス。
この本は。。。とにかく読みましょう。
2001年以後だけで70本以上という批評の数に圧倒されましょう。
読めば必ず観たくなる。
*蓮實さん、過去の本もどんどん文庫化してください。お願いします。