単なる研究ノート
★★☆☆☆
複雑系研究の成果を使って様々な現象を解釈する本であると期待すると失望するだろう。誤解をおそれず言えば、著者個人の荒削りな現実解釈に過ぎない。ネタ本が精神分析であったり、カオスであったり、バザール論であったり。ハラスメントと戦う方法が、自己の学習過程を鍛えることだ(P94)などと言われても、この主張を理解できる人ならそもそもハラスメントの餌食にはならないだろうと苦笑してしまう。「やわらかな市場」では、新古典派経済学の無味乾燥な市場論を乗り越える内容を期待したのに、共同体と市場の二項対立を乗り越えるなんていう陳腐な内容は、市場も組織であると論じた新古典派の巨匠K.J.アローの足もとにも及ばない。同じ著者による「貨幣の複雑性」が面白く期待が大きかっただけに、本書の内容の貧しさが一層目立った。本書の殆どのコンセプトはもっと平易な日常の言葉で置き換えることができるだろう。
大胆な断定と画期的な論考
★★★★★
組織の運営における役割と責任を明確にし、動きを監視して統制する「計画制御」による方法。不都合が生じれば原因を不透明な組織運営や不明確な責任に求める。運営を透明に、責任を明確にし、厳格なルールにもとづいた経営管理を徹底しようとする。近年多発する企業や官庁の不祥事における対策のほとんどは「計画制御」に基づいている。
ところが、この方法は幾何級数的に仕事を増やし、無意味な事務を爆発的に増加させる。しかも現場担当者を萎縮させ、自己保身に走らせるプレッシャーを与えてしまう。改革が頓挫する典型的なパターンだ。
ダイナミックに複雑な組織の世界では、この「計画制御」のフレームワークは原理的に成り立たない、と著者は大胆に明言する。PDCAなどの計画制御を改善すべきなのではない、計画制御のフレームワークそのものを破棄すべきだと言う。
著者が代わりに提示するのは「やわらかい制御」に基づいた「共生的価値創出」という方法である。調査、計画、実行、評価のサイクルではない。既にある物事を把握し、つなぎ、活発な流れを作り出す。そして、そのために必要な暗黙の力は人間の心身に必ず備わっているという。
社会的コミュニケーションの動的理解に基づいた画期的な論考である。
アメーバ的社会論の展開
★★★★★
実態の掴みづらい現代社会の根源を複雑系科学の立場から読み解く良書。知的好奇心も刺激されて大変面白い。
現代社会の根源悪は規範、法律、体裁といった固定概念が目的となることによる個々人の形骸化にある。そうした社会では、人々は自分の感覚を裏切り、他者に対する思いやりを失い、他人を支配しようとするハラスメントを蔓延させていく。
この社会悪を封じるためには本書の主題である”やわらかな制御”が有効であると主張している。つまり、元来社会は人と人との相互作用で初めて実体化するものであり常に流動的であるはず。豊かな社会の創造に向け、常に人々は流動的である不安に向き合い、コミュニケーションを通じ学習し続けなくてはならない。
とても共感できる。具体化するためには”ルール”を使うのは本末転倒だし、結局一人一人の内発的価値観の変化を地道に期待するしかないのだろう。
複雑系の魅力
★★★★★
本書の内容はあちこちに飛び回りますが、それは筆者が本書で強調している「無形」のためでは、と思っている。
科学的な細分化が進むなかで、「細分化では、きれいなイルミネーションもドットでしかとらえられない」というのはなるほど。
第1章の「差異」の重要性と意味はそんな感じ。あとカオスの話とかも面白かった。
第2章では、対人関係を「私と他のコミュニケーション」からとらえて、ハラスメントの危険などもわかりやすく解説。
そして3・4章では形を決めない、やわらかい組織、やわらかい制御を考えていく。
そして5章では市場と共同体の融合の話にまで突入する。
そんなに厚い本ではなく、楽に読める良書。
朝日新聞の書評委員
★★★★★
朝日新聞でこの本の書評を書かれた山下範久北海道大学助教授のブログに、次のようなコメントが出ております。
4月から朝日新聞の書評委員を務めます。最初の寄稿は、4月2日(日曜日)の読書面、安冨歩『複雑さを生きる』(岩波書店)の書評です。たいへんエキサイティングな作品でした。その魅力の一端でも、伝わる書評になっていればと思います。