‘日常生活の中で起こり得る現実に極めて近い幻想小説’の理想の姿です。
★★★★☆
1984年に享年70歳で逝去されたアルゼンチン生まれの幻想小説作家コルタサルが死の4年前に著した最後から2つ目の短編集です。著者は著作に対する創作姿勢として作為的で人工的な作品を否定し、全くの荒唐無稽では無く誰もが生きる日常生活の中で起こり得る現実に極めて近い幻想小説を標榜されていました。加えて1961年にキューバを訪れた折に大きな衝撃を受けられ、作風が政治性を色濃く帯びる内容に変化したという事です。本書に収められた全10編を読むと、まさしく著者の目指した幻想の姿が高い完成度で結実しているのが実感出来ます。
『愛しのグレンダ』:映画界の偶像グレンダを愛するファン・クラブが昔日の栄光を留める為に過激な行動に訴え出て、遂に究極の処置が為されます。『ノートへの書付』:ブエノスアイレスの地下鉄に暗躍する秘密組織の影に怯える男の妄念は真実なのか?『ふたつの切り抜き』:共に悲惨な現実である組織的暴力と家庭内暴力の姿を対比させ、途中から現実感覚が崩れ去ります。『クローン』:実在の人物が犯した殺人を架空の合唱団の楽団員がクローンとして繰り返す、集団の中での心理的葛藤を描くミステリ劇です。著者が音楽と小説の融合を図った意欲的な試みと云えるでしょう。『メビウスの輪』:朝早い森の中で少女に襲い掛かった失業中の青年の暴力的で荒々しいレイプ殺人の模様が生々しく描写されます。少女は死後に透明な立方体の状態に変貌し、憎悪を抱くのではなく優しく官能的な存在として獄中の青年に近づき、被害者と加害者の和解のイメージが象徴的に描かれています。
本書は著者が円熟の境地に立って書き上げられた晩年の傑作集で、深刻なテーマの中にほのかな安らぎも垣間見える作品群を存分にお楽しみ頂きたいと思います。
妻に裏切られたので彼は妻を殺した、まさにタンゴだよ、パオリータ。
★★★★☆
この作品集は10-30ページ程度の10の短編から構成されています。すべての作品で贅肉が削ぎ落とされたプロットと四肢末端まで緊張感の行き届いた文体でさまざまな旋律と力強い律動が奏でられます。そして幻想的な舞いが次々に繰り広げられるのです。幻想的といってもコルタサルの作品には幾何学的な騙し絵のような作為性は微塵も感じられません。日常的な背景に突如非ユークリッド的な歪曲した時空が現れたり瞬時にして複数視点的な異様な風景への切り換えが行なわれたりと気づいた時には意識の余剰次元へと誘い出されてるかのようです。
見つめているはずが見つめられて(『猫の視線』)完全性を求めて虚構界へ介入するも(『愛しのグレンダ』)実像と鏡像の微妙なずれに漂い(『ふたつの切り抜き』)壁の向こうにパラレルな自分を聞き取ったり(『トリクイグモのいる話』)地下には密かに増殖する侵略者を見たりする(『ノートへの書付』)のです。主客が相互に転換し表裏が一体となるときや(『メビウスの輪』)頭の中の蜘蛛の巣と人生のそれとが糸の一本一本にいたるまで一致するときに(『帰還のタンゴ』)何も起きていないのに何かが起こることはみんな知っているし(『クローン』)あなたは私のドッペルゲンガーかもしれないし(『グラフィティ』)夜のドラゴンから君を救い出した無名の騎士はすぐ隣にいるのかもしれません(『自分に話す物語』)
作品の前面あるいは深層から聞こえてくる狂信や暴力、全体主義の足拍子に時にメランコリックな主旋律に舞い時に鋭くスタカートでリズムを刻むのです。まるで確かな技能に裏打ちされた表現力のその奥に、秘められた危険な情動が発露するのを見てるかのようです。まさにタンゴ。それこそ作品の舞台とともにアルゼンチンスタイルからコンチネンタルスタイルまでバリエーション豊かな旋律と律動がもたらす愉悦と幻想に浸れると思います。ただ最終演目『メビウスの輪』の直截な暴力表現は異質でアーティスティック・インプレッションは下がるかもしれません。