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「街的」ということ――お好み焼き屋は街の学校だ (講談社現代新書)

価格: ¥756
カテゴリ: 新書
ブランド: 講談社
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街は生活するところだ。 ★★★★☆
街は消費するところじゃなく、
生活するところ。
うわべだけの情報で
街を制覇することなんてできない。

大阪に帰ってきたとき、
コンビニで初めて目についた雑誌が
『ミーツ』でした。
大阪のにおいを感じたんですよね、なぜか。
街を深く観察する前に、読むと参考になる本 ★★★☆☆
meetsの元編集長が『街とは何か』について書いた本

街とは、地元の息づかいが感じられる場所
都会は、情報化が進みすぎ息づかいが感じられなくなった街のこと。

「meets」は他の情報誌と、違った店の選び方をしていた事を、読んで初めて知った。
 meetsの選び方
  ・インデックス化しない
  ・主流化しない

著者は、地元が好きなんだと感じた。
私も泉州地区に住んいるが、地元人はみな『地元が大好き』
(著者は、岸和田出身)


街を深く観察する前に、読むと参考になる本
街⇔田舎 金持ち⇔貧乏人 ★★★★☆
淀川の水を産湯に使い、マルーンの車両を乳母車に使った評者にとって、『ミーツ・リージョナル』の元編集長が挙げる街々には馴染みが深いところが多いし、言われることに同意できることも少なくはない。

にもかかわらず、読めば読むほど、どうしようもなく居心地の悪さを感じてしまう。それは何かと尋ねて思い至るのは、「これはお金持ちが読むべき本であって、私のような貧乏人が読んでいい本ではなかった」という一点であった。

ここで言う「お金持ち」「貧乏人」は所得や貯蓄の多少を指すのではない。お金持ちがここに出てくるようなお店で食事をしているとき、貧乏人はコンビニで買ったパンをかじりながら道を歩いている。

後者が前者に憧れてせっせと知識を仕入れ、お金持ちになるべくあくせくしているとすれば、そいつは「いなかもの」の同類である。だが、街の貧乏人は、「あんな店、興味ない」と思っているだけで、不満があるわけではないのだ。彼らにとって、「行ったことないんか?そんなら連れて行ったろ」と金持ち連中につき合わされようものなら、ひたすらいい迷惑なだけなのである。数々の店を知らずとも、貧乏人は貧乏人なりに、店の外に、道端に、行きかう人の中に、通り過ぎる風の中に、「街的なもの」を感じている。

ミーツの特集がよく使う「お金がない」という言葉に騙されてはいけない。それは「お金持ち基準」における「お金がない」に過ぎない。

要するに、「オレは貧乏人やったんやなぁ…」とこの本を読みながら自覚させられたわけだ。ええ、そんなこと、言われるまでもなくわかってますから。
「街」? 「都会」? 自分で感じながら街を歩こう、と思える一冊。 ★★★★☆
あまりまとまった本ではないのですが、街歩きが好きでまちづくりやマーケティングにも興味のある者として、興味深く読むことができました。
特に、「街」と「都会」の違いのくだりは、普段感じていることをズバリ言っていてくれています。
関西の地名が例として多く出ていますので、なじみのない方にはちょっとピンとこないかもしれませんが(笑

本書でいわれている通り、ガイドブック的な街や店の紹介では語りきれない、味わいつくせない、街・店の持ち味や空気を自分で感じ取る、それこそが街歩きの醍醐味だと思います。
その辺の「感覚」を、うまく地理学的にみていけないかと思っているのですが…今後の課題です(笑
まちづくりの面でもいろいろ示唆にとんだ本かと思いますので、ご興味のわいた方、是非ご一読を。
心地が悪くなった ★★☆☆☆
解説で内田樹が書いている通り、最後まで読んでも「街的」とは何かを理解できなかったが、自分なりに考えてみると、こういうことだと思う。「街的」な人は、楽しみに対する積極性を持っている。マス媒体から情報を与えられるがままに行動するのではなく、自分が体験(体感)することを通して、楽しみを見い出だすという積極的な姿勢だ。「街的」な文化は、代替がきかない、時が経っても色あせない。そういった文化は、時間をかけて、その土地に住む人が積み重ねたものだ。反対にあるのは表面的・画一的で一時的な流行。

私自身、街と文化は不可分で、その街に住み、そこで遊ぶことで文化を味わうことができるし、それがかっこいい遊び方と思っているので、著者に共感する点は多かった。でも、読み進めていくうちに心地悪くなっていった。というのは、この本も情報誌と同様に遊び方を押し付けくるからだ。具体的に何かを提案してくるわけでないのだが、「街的」に遊ぶには、こう考えるべきなんだ、というようなトーンで話が進むのが好きになれなかった。「街的」は自分が思った通りに楽しむ、そういう軽やかなものであって、遊び方を押し付ける窮屈なものであってほしくない。

この本の内容を規模の小さい雑誌で読んだり、人から直接聞いたりしたら、違った印象を受けたと思う。「街的」は、人や土地に根ざしたもので、マス媒体とは違う場所で育まれる性質のものであるから、新書というマス媒体で語られることが不自然だと思う。本格派の腕時計が「一生モノの時計」としてファッション紙で特集され、結局一過性の流行で終わるのと似ているなと、なんだかむなしく感じてしまった。