主人公が執筆する「ミクロコスモスに生きる」は、作者の書きたいことであり、主人公の、「大勢の読者が」「資源の循環を必然とした社会組織のあり方に、強い関心を抱くようになってくれたことが嬉しかった」(p407)という気持ちは、作者の希望である。
随所に作者が顔を出して解説を加え、現代社会を批判し、それが鼻につく面はあるのだが、それでも一気に最後まで読む気になってしまう。シリーズを全部読もう!という気にもなる。
解説で白石一郎が書いているように、山手樹一郎に通じるような「明るさ」があるためだろうか。
表記の面では、ちゃんと、「病《やまい》膏肓《こうこう》に入った」(p153)となっていて「膏盲」と誤っていないのはさすが。
「オペラやバレー」(p204)という表記は珍しい。普通なら「バレー」ではなく「バレエ」と書くところだ。
写本を見つけた、というところ(p442)で、筆跡に見覚えがある、というので、「写本」なら、著者の筆跡ではないのでは、と思ったが、古語辞典を引いたら、刊本に対しての写本という意味でなら、自筆のものも写本というそうだ。