本当のお笑いを求めて
★★★★★
現在のTVに出てくる芸人といわれる人たちの話芸のなさや、携帯文化に象徴される記号的な日本語の氾濫にうんざりしていたので、本当のお笑いを求めて最近落語に興味を持っていた。CDなどで聞いて楽しんでみたりしたが、その言葉使いに理解できないものなどがあり、本でと思い選んだのが本書。有名な噺を選んでおり、その言葉を活字にてじっくり読むことでよく理解でき、くすぐりの部分とかもわかる様になった。
実際には話芸なので本来であれば演者の肉声を聞くのが本当の楽しみ方だと思うが、この様なコンパクトな本で読んで楽しむのも是非お薦めです。
至高の舞台芸術を読む
★★★★☆
落語というものは至高の舞台演劇であり、話術であり、いわゆる標準語の骨格をなして
いたり、と奥行きを論じれば、それこそ途方もない代物。落語は話し言葉でこそはじめて
生きるもので、テキスト化することに抵抗を覚える人もあるだろうし、それも確かに一理
ある。口述伝承のすばらしさもその通り。
それでもこの本は面白い。
古典の古典たる所以のひとつは、あまりに類型的で、けれども、相当に的を射た人間描写が
あるからこそ。これを偉大なる文化遺産と呼ばずして、他に何をそう称そうか。
そんな史料の一つにさえなってしまうのだから、落語にはただただ驚かされる。
主な収録作品は「明烏」、「厩火事」、「時そば」、「芝浜」、「寿限無」、「子別れ」。
いずれもあまりに有名な21篇を収録。
個人的には、特定の噺家の癖が中和されている分、話し言葉が滑らかに書き言葉へと
溶かされており、読みやすいように思える(もちろん落語家さんのテキストを否定する
つもりはありません)。
その面白さは折り紙つき。
ほぼ素人ですが、面白かったです
★★★★★
最近何となく落語に興味が湧いて、読んでみました。
落語なんて縁がない人生を送ってきたつもりですが、いくつか知ってる話もありました。
それくらい有名な話を載せてくれているのでしょうね。
正直、「落語は聴いて楽しむもので、本で読んだってつまんないんじゃない?」なんて思ってましたが、これがびっくり、面白くてあっという間に読んでしまいました。
子別れの最後の部分で、おとっつぁんが同じセリフを繰り返すところでは思わず涙が・・・。
落語って暖かいですねぇ。
切っ掛け
★★★★☆
古典落語の有名なものを集めた作品集。先人たちのユーモアと人情が詰まっていて、落語を知らない人は落語に触れる切っ掛けとなるだろう。私が特に思うのがこの「切っ掛け」ということであって、これを面白いと思った人は是非とも寄席に足を運ぶべきだと思う。
「落語に名作は無い、あるのは名演だけである」
とは桂米朝の言葉だが、いかにもその通りであって、実際に寄席で見てみないと、演者の「間」や「仕草」や「表情」、更には寄席の空気感など、落語という文化を形成する多くの魅力はわからないのだ。これを読めば落語という一見敷居の高いものに、少しだけ触れやすくなるだろうと思う。落語に興味があって、どんなものだろうな、と思っている人にはもってこいの一冊。是非実際に寄席に赴いて落語に触れる切っ掛けとしてもらいたい。
古典落語の品性ある住人
★★★★★
古典落語のオールスターゲームのような1冊。「目黒のさんま」「芝浜」「寿限無」「明烏」「時そば」・・・といったベストセレクトと言っていいものだ。
ベンチャー経営者にして稀有の知性をもつ誠に珍しい書き手の平川克美は、その著『株式会社という病』のなかで、有名な「芝浜」に絡めて村上ファンドの村上世彰を評している。
「お金を儲けることは悪いことですか」とのたまう、この東大出身の元官僚には知性が全くないと。その通りだ。村上は「芝浜」を知らないのかもしれないとも平川は書いている(村上は関西人やからなあ)。
銭金に絡む人間の品性、生き様を描いた落語は少なくない。
「三方一両損」は大岡裁きをテーマとした、これまた有名なものだが、江戸職人の清貧思想は儒教の賎富思想という武士の学問の影響が大きいと編者の興津要は解説している。
「宵越しの銭はもたねえ」「江戸っ子の生まれぞこない金をため」というやつである。
「三方一両損」に、単純だけど強い言葉がある。
「人間は金をのこすような目にあいたくねえ。どうか出世するような災難にであいたくねえと思えばこそ、毎日、金毘羅さまへお灯明をあげておがんでるんじゃありませんか」大岡奉行の前で金太郎が話す言葉だ。こういう品性のある言葉を聴いたことがない。いや、こうした言葉には、知性すら宿っている。
いま、世間では金に困らない者だけが品格とか、心とかを云々する。
村上より一層下劣である。
本当にさもしい世の中になってしまったものだ。
非常に面白くお勧めです。
★★★★☆
非常に面白くお勧めです。