残酷な期待の犠牲者、ハンス・ギイベンラアト。
★★★★☆
主人公ハンス・ギイベンラアトは、秀才だった。
町一番の秀才とうたわれて、誰もが、彼の将来を期待と羨望のまなざしで見つめた。
イマイチ主体性が無く、腺病質で、勉強しかとりえが無い弱気な少年は、自分の将来を首都の神学校に進学し、皆の期待にこたえる事に託した。
しかし、現実は、規則尽くめ学校生活、友人の非行、思い通りに行かない日々に、ハンスは、徐々に勉強に興味を失っていく・・・。
結局、学校を去り、元の鞘に納まったハンス。
生まれ故郷で、初めて異性に興味を抱いたが、散々弄ばされたあげく、捨てられた。
その後、機械工場で働いた。
仕事はきつかった・・・。
血豆だらけの手に激しい痛みが走る、今だ忘れられない、去ってしまった彼女への想い。
そして、職場の仲間内で、飲みに誘われた時、彼の崩壊の日々にピリオドが打たれる・・・。
周囲の「期待」という凶器は、ハンスの心身をズタズタにした。
この犠牲者は、いまだに出続けるだろう・・・。
これは、決して、小説の中の話だけではないはず。
今なお繰り返されている、悲喜劇なのだ。
ヘッセの代表作
★★★★★
詰め込み教育というも(より広く言えば、大人が子供を押さえつけること)が多感な時期にいる青年にどのような影響を与えるのか、ということをヘルマン・ヘッセの実体験をもとに小説化された本。
エリート街道を突き進むハンスは、将来の牧師ないしや神学者となることを嘱望され、次席で神学校に入学する。周りからの期待に応えようとして、ひたすらラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語、代数などの科目の修得に精を出す。周りの期待がハンスの中で内在化され、勉強だけが、自分を、自己の存在をアイデンティファイするものとなっていく。それと同時に、ハンスは、同年代の友人や遊びと、懸け離れていくことになる。
そんなハンスも神学校でのある友人と出会いによって、徐々に変化していく。そして、神学校を止めて、エリート街道を外れ機械工の道を歩むことになるが。。。
物語は、これといったひねりがない。表現も飾り気がなく簡潔だ。だが、それらがかえって小説のmise en scène と上手く合い、ハンスの心理描写を際立たせていたようにも思う。ヘッセの実体験に基づいているため、表現は簡潔ではあるが、力強さやリアリズムがないというわけではない。
ハンス・ギィベンラートの辿った道跡が、物理的な意味と精神的な意味の両方で、自分の辿ってきた道跡とオーバーラップする部分があった。そのため、自分の実体験や感じたことと重ね合わせて理解することができた。しかし、僕はハンスではないし、ハンスは僕ではない。ハンスがその後どうなるかを知ってみたいが、知る由はない。
ドイツの春夏秋冬が、美しく詩的に表現されている
★★★☆☆
「疲れきってしまわないようにすることだね。そうでないと、車輪の下敷きになるからね」
ヘッセが29歳の時書いた作品。ドイツの春夏秋冬が、美しく詩的に表現されている。
神学校の生徒と機械工の少年。子供から少年へ、少年から青年に、いろいろな可能性を捨てながら成長していく。
少年が成長するのはワインが熟成するようなものだろうか?うまくすると美味しく豊穣になる。失敗するとワインにならない。もともとの魂も大切だ。周りの社会も影響する。
青春小説の金字塔
★★★★★
ヘッセの代表作として名高い「車輪の下」。はかなく、せつなく、ひたむきに青春を走り抜けていくハンスの姿に感動せずにはいられません。登場人物やドイツの自然を繊細に描き出し、読者を引き込むヘッセの文才は本当に素晴らしい。本書の一言一言が深く胸に刻み込まれます。
ちょっと・・・
★★☆☆☆
車輪の下はとても有名で面白いと評判な本です。
それで親から進められて買いました。でも、僕が判断するに一言(つまらない)なぜなら、少し難しかったからだと思います。中学生でこの本を買おうとしている人は、僕が言うのもなんですが、もう少し待ってからのほうがいいと思います。
あくまで個人的な意見です。車輪の下ファンの方気にしないで下さい