「ぐったりと、仰向けになった上半身を、背中から支えた聖母の手は、すでに硬ばって突きだされたクリストの右腕に半分隠れながら、ひろがり過ぎるほど開かれた五本の指で、ぎゅっと吸盤のように息子の腋の下を締めつけている。激動のあらわな表現は、すべてを通じてその右手だけである。」
長い部分からの二行だけの引用だが、これだけでも、文体の密度と精度は、わかっていただけると思う。野上彌生子の場合、いかに物を見るか、ということは、いかに表現するか、ということとほとんど同じだ。この日記は、単なる日々の報告書ではない。社会そのもの、人間そのものを克明に書きとめようとする精神の軌跡といっていい。彼女の小説が忘れられても、この紀行文だけは残るのではないだろうか。「早い・軽い」に慣れたわれわれだが、ときには船旅の贅沢を味わうように、こういう本を読むという贅沢があってもいい。図書館で全集を借り出して読んで以来の再読になるが、何度読んでもおもしろい。星五つでは足りない。