とても面白かった。160分という長さを感じさせなかった。
★★★★★
アメリカ版のリメイクですが、多少似ているところもあり、すんなり見れました。
ロシアでのリメイクということで、時代背景やロシアとアメリカでの違いをよくえがいて
いると思いました。ラストシーンなんてのはそのものだと思いました。
160分という長さを感じさせない展開でした。ただいらないシーンもちょっとあった
かなと思いました。同じ映像を何度も見せられる所は、そのせいで160分になったん
じゃ・・・。とおもいました。
ですが、作品自体はとても面白く、原作を壊していないので秀作だと思います。人間味
あふれる物ですから、論理だってなくてもいたしかたないのではとも思います。陪審員
制度にもなった昨今ですしみてもいいんじゃないのでしょうか?おすすめです。
キャラクターが面白い
★★★★☆
陪審員たちの行う検証や推理が面白かったです。
ライトを向けられて眩しがったり、風船が割れて驚くなどの(無駄に見える)細かいシーンも良かったと思います。
一人一人の意見や話が深く、その人物の人生が垣間見えました。
上手く現代風にリメイクされていたと思います。
冒頭でなかなか話が進まなかったり、少し疑問符が浮かぶシーンがあったので★一つ減らしました。
責任の重大さ
★★★☆☆
日本でも始まった裁判員制度。
予告を見たときから気になっていたので借りました。
1人の少年を終身刑にするかどうか。
12人の男たちが、無罪か有罪に投票する。
”意見が全員一致になればその意見は有効となる”
最初は他人事とばかりに、みな自分の都合を最優先するものだから
早く終わらせてさっさと帰ろうと、事件をさほど重要視することもなく「有罪」に投票する。
全員が「有罪」に投票したかと思われたが、ただ1人「無罪」に投票したものがいたことから物語りは始まる。
この映画、とても長いけどすごく見応えありました。
人を裁くことは難しい。それ以外に、なにが言えよう。
★★★★☆
わたしは、オリジナル【十二人の怒れる男】を観てはいません。そもそも、オリジナルがあると知ったのは、このDVDをレンタルし、そしてそのなかで観た予告で、です。
そしてまた、オリジナルよりも劣る部分が何処かも知りません。
陪審員。人が人を裁く。国民の義務。怠惰。
だれから見ても有罪同然の事件。ある少年が、養父をナイフで刺し殺した。少年は弁解もしない。ただ淡々と過ぎてゆく。
話し合いをするべき場所が改装中とのことで、小学校の体育館へと通される、十二人の陪審員たち。審議をするまでもない。結果は明白だ。
―――しかし。
ある一人の男性が、無罪を主張した。「人の命が、かかっている。それなのに、結果を急いていいのだろうか」。
人を裁くということは、非常にむつかしいのです。そもそも、人に人を裁く権利があるのかどうかも疑わしい。
2009年5月21日から始まる、【裁判員制度】。国民の大半が、その実情を知らずにいます。かくいうわたしも、詳しく知っているわけではありません。一年ごとに変わるのですから、いつ自分が選ばれるかもわかりません。
犯罪は犯罪です。加害者にどのような遍歴があろうとも、過去があろうとも、経緯があろうとも、罪を犯す、ということは許されることではない。
【罪を犯す】ということは、人間が勝手に取り決めたことであるから、【どういう意味でどういうことを指すのか】を考えると、多少悩みもしますけれども。
劇中のBGMが多少高く感じられ、肝心な部分でのせりふがよくわからず、ボリュームを上げなければいけませんでした。とくに、ダンスの部分。
それに、一度観ただけでは、よくわかりませんでした。二度三度観て、ようやく、こういうことを言いたかったのか、というか、そういったことがわかりました。なんとなく、ですけれども。
偏見男のこどものはなしでは、何故か涙が流れました。自分でもわかりません。ただ、彼のはなしを聴いていると、自然にぼろぼろこぼれていました。
このリメイク版は、「感情論で陪審員の態度を変えさせた」とあります。わたし自身、「これって脅迫じゃないの?」とか思うような、高飛車な態度でまくしたてる部分(後半の、偏見男と流され男のはなし)には首をかしげました。「え、いいの、これ?」と。
ただ、それを抜きにしても、最初からあちこちにちりばめられたヒントや、それぞれの人間のはなしが二転三転するさまは、あっけなくておもしろかったです。
芸術家の男性がつぶやいた、「そのままなんだ。なにもしないんだ。裁くだけ裁いて、もうなにも知らないんだ」という旨のせりふが、未だに頭に残っています。
人は、放置するのです。無関係を決めこむのです。任せてしまえばいい、と。
地球温暖化その他もろもろも、みな、放置の結果です。なにもしなかった結果です。誤魔化し続けた結果です。
――人間は、救いがない。
論理性のない議論
★☆☆☆☆
退屈した。本作の陪審員たちは自分の意見の出番になると、裁判と関係のない体験談を延々と語り始め、最後には泣き言を言う。少年や証人たちには同情の余地があるとでもいいたげで、彼らは被告に自らを重ね合わせることで有罪か無罪かを決めてしまっている。ミハルコフ監督がロシアのチェチェン問題を通してこの作品をリメイクするという考えは素晴らしいが、本作は論理性がなさ過ぎる。陪審員の体験談など別の映画でやって欲しい。何よりミハルコフのいけないのは、少年の独房の中での様子や回想シーンがいちいち合間に挟まれることで陪審員たちの議論のリズムが中断してしまっていることだ。それは映画としては分かりやすい描き方かもしれないが、要らない部分を一切削ぎ落として陪審員室の描写だけで映画を作るという無謀に敢えて挑戦したシドニー・ルメットに比べると空々しさすら覚える。カフカス出身の外科医のナイフ芸のようなどうでもいい描写に時間を費やしているうちに、二時間四十分にまで膨れ上がってしまった感じだ。
ルメット版の素晴らしいのは少年にかけられている殺人事件の嫌疑の一つ一つを論理的に追及していくディスカッションそのものにあるのであって、そこに陪審員の体験談が入り込む余地は殆どなく、証拠となった凶器や数々の証言について繰り広げられる白熱の議論が、やがてわずかな疑問点を発見していくことで真実に迫ってゆくという、事件の全容を全く知らない観客にすらある種の達成感を共有させてしまうところにある。とりわけ、最後まで女性の証言を信じて疑わなかった3番陪審員と4番陪審員との確信が根底から揺らぐクライマックスを、ミハルコフ版が全く活かしきれていないのは才能の違いだろう。