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音と言葉 (新潮文庫)

価格: ¥546
カテゴリ: 文庫
ブランド: 新潮社
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ざっくり省いた翻訳だそうで、ちょっとわかりにくいかも ★★★☆☆
 タイトルにもなっている「音と音楽」も含めた10数個のエッセイからなる本。題材はバッハ、ベートーベンの運命第一楽章、ブラームス、ワグナーとニーチェ、ブルックナー、ヒンデミットと多岐に渡る。
 ロマン派と現在でいう近代音楽との折り合いについての悩みや、評価を苦しげに書き連ねているようで、読んでいても苦しいところがある。
 しかし、運命の第一楽章のフェルマータにそんな意味があったとは知りませんでした。また、ワグナーとニーチェがお互いをそんな風に思っていたなんて知りませんでした。ニーチェがもだえ苦しむようで、なんだか哀れになってきました。
 それにしてもドイツ語の翻訳は難しそうですねえ。
フルトヴェングラーの音楽理論 ★★★★☆
フルトヴェングラーは、戦前・戦中・戦後のドイツ・ヨーロッパを中心に活躍した指揮者であり、作曲家である。彼の戦後の復帰公演のベートーヴェン交響曲第5番「運命」にしても、感動的なフィナーレを迎えるが、その楽曲の解釈を示している論考も収録されている。特に、ベートーヴェン作曲作品を高く評価し、その道の達人として、成功した著者の論調は、音楽家としてのスタンスとして、理解し易い。特に、ワーグナーやニーチェ・ゲーテに対する引用や、論考は、彼がベートーヴェン交響曲第9番「合唱付き」を指揮したバイロイトの録音の解釈に続く示唆を与える。楽曲は、「おお!友よ!こんな音ではない。」に続く、楽章の表題の演奏は、第4楽章最後の天に召されるゲーテ作「ファウスト」の作構成と類似性を示す。音楽は、孔子が指摘するように言葉を持たないが、その音理論を言葉で示した数少ない邦訳のひ一つ。以上
フルトヴェングラーの思想 ★★★★★
フルトヴェングラーの音楽に対する思想を知る上で参考になる本です。抄訳ですが、エッセンスを絞って書かれていると思います。
フルトヴェングラーは自身はむしろ作曲家として大成することを望んでおり、指揮は余技にすぎないと考えていた様ですが、音楽に対する思想を語っています。
その音楽の精神性を知る上で参考になる本だと思います。
このような考えがあっての、あの指揮振りがあるのだと思うとより演奏が楽しめると思います。
新潮社文庫版の「音と言葉」 ★★★☆☆
 この新潮社文庫の「音と言葉」は抄訳であり、多くの評論が割愛されている。文庫本なので持ち歩きには便利であるが、誤訳もあるとのこと。フルトヴェングラーのこの世紀の著作をきちんと読みたければ、白水社版の「音と言葉」(芦津丈夫 訳)を読んだ方が良い。
偉大な創造活動は時代や分野を超えて普遍的ですわな ★★★★★
~ええもんを読ませていただきました。数十年前に読んだ本ですけども、昔を想い出してまた読ませていただきましたが、フルトヴェングラーのレコードよりも楽しめるかもしれませんなあ。私の覚えとるフルベンはんの演奏は、自在にテンポを設定してロマンや感傷の極みのなすがままに、ベルリンやウィーンで演奏されたベートーヴェンやブラームスのレコードですが~~、これをフルベンはんは「曲をいったん解体して、有機的な生命体を構成する作業」とおっしゃる。レコードでの解釈とこうして書きはっとるエッセイ(実際には、講演抄録のように読めます)とが矛盾しとらん点が真摯ですわな。「全て偉大なものは単純である」「いい演奏は、たった一つしかない」とか、科学者にも嬉しいようなことをいうてくれはりますが、彼の~~音楽解釈が「単純」なものであったんかどうかは私にはちと疑問やけどもなあ。もし全て「単純」になるのなら、どなたの音楽解釈も極まるところ(いいものならば)ひとつに収斂するのなら、演奏は究極の純音楽的なものになって行くと思いますけど・・・、たとえばカルロ・マリア・ジュリーニの晩年の演奏のように。

とはいえ内容は解釈の話だけでなく、バッ~~ハの偉大さ、ニーチェのワーグナー攻撃についての文学史家的考察(ほとんど学者的な記述)、ベートーヴェンの第5交響曲の単純な偉大さの音楽史的、音楽語法的論述、ブルックナー・ヒンデミットのよさの紹介と、文学的な立場からも大変興味深い本ですわな。意外とマーラーが出てこんけども、まだマーラーは今ほど注目されていなかったんでしょうか。上述のよう~~に、科学者の立場からみても(ナチの時代という極限下の創造的作業ということもあるんやろうが)大変興味深い。「偉大な創造活動は時代や分野を超えて普遍的」と私は本作を読んで感じました~