すてきに狂おしい知
★★★★☆
もちろん好き嫌いはあるでしょう。見た目とか文体とか。問題はしかし、単なる印象を超えたところで、当の書き手が傾聴に値するヴィジョンや見識をもっているかどうか。本書の狂言綺語はむしろ当然の要請でした。まっとうな学問はそもそもマニア(狂い)の一種なのですから。ナルシスト四方田の『先生とわたし』と本書の決定的な違いはそこにあります。
由良君美も高橋康也もすでに超えられました。その正統性と情熱において冠絶している高山の著作は、案に相違して、絶版・消滅の危機に瀕しているので、心ある編集者はただちに「再結集」の作業に入るべきです。もちろん、高山にもさらに仕事をしてもらわねばなりません。その期待を込めて星四つ。
本書の巻末に掲げられた翻訳予定書目一覧を見て胸が熱くならない学者や編集者は自らの繊弱を恥じて転職すべきでしょう。嗚呼、高山のような人がほかの学科にもせめて一人ずつでもいてくれたなら…
学魔とは良く言ったもの
★★★★★
エッセイ風に高山氏の半生や考えについて語られています。
ところどころに出てくる高慢な物言いは不快ですが、研究にかける熱意や勉強量には敬服します。
視覚というキーワードで、文化のさまざまな局面を繋いでいく分析は大変面く読めました。私は、この本と同じ著者の「近代文化史入門」で視覚文化への興味をかきたてられました。
視覚文化について手ごろな入門書を探している人にも薦められると思います。
学魔の作り方
★★★★★
本書はインターネットに連載されていたエッセイを書籍化したもののようです。
四方田犬彦氏の「先生とわたし」に高山氏が東大助手時代に書庫の検索カードを
作ろうとしてあまりの規模の大きさに挫折し云々との記述があり、ただの収蔵書
籍の一覧カードのようなものを想起したため、どういうことなのか意味が分から
なかったのですが、本書には高山氏の企図したものと七転八倒ぶりが詳説されて
おり、やっと納得がいきました。
なるほど、まさに学魔だ、と思わせる一冊です。
人文学を読むものにとって必読の「ガイド」
★★★★★
「文学」を中心とする人文学を志す者がとるべき知性への没入の方法が示されています。(火宅の私生活をまねる必要はまったくないが)。欧米の文学を学ぼうとする人にとっては、格好のガイド本でもあります。漢字の多さ、独特の句読点使いもまた一興。