龍樹研究に必要な書
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これは龍樹研究において、必要な書だと思います。
これを入手できて嬉しいです
情報が閉ざされた世界では、天才龍樹にも限界があった
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本書は、龍樹の著作に現れる「空の論理と菩薩の道」を駆け足で把握するための絶好の書物である。読み終えた印象は、龍樹は雑阿含経(サンユッタニカーヤ)を読まなかったんだろうか?である。
なぜなら、
(1)「菩薩の道」は雑阿含経に詳細に説かれている。
『阿含経講義』(安井廣度著)には、雑阿含経第33巻(No.929)として「八法・十六法」と呼ばれる経典が紹介されている。これは、優婆塞について質問した摩訶男に対して釈尊が「自分で信・戒・施・詣・聞・持・観察・法次方向の八法を修行し、他人にもこの八法を教えて修行させる十六法を実践するならば涅槃に至る」と述べた経典である。つまり釈尊のように、まず自分が悟り(智慧の独覚)、その後他者に説法する(慈悲の菩薩)ことを勧めているのである。
(2)「空の論理」は仏教を学ぶ人のための論理では無い。
龍樹が『中論』で展開した論理は、仏教を学ぶ人のための論理(i.e. 釈尊が行った対機説法・比喩説法・次第説法などで示された論理)ではなく、「有」を主張する頑迷な部派仏教教団や仏教以外の様々な教団を攻撃・粉砕するための論理であった。実際に、宮元啓一氏の『インド哲学への招待』(全五冊)を読めば、インド哲学の不可思議な論理を論破するために龍樹がそれを上回る巧妙な論理を展開せざるを得なかったことが分かる。「龍樹は<空の哲学化>という釈尊の禁じた道に入り、<仏道>を見失った」と断じるスマナサーラ長老に同意せざるを得ない。
3)ブッダ釈尊の教法は雑阿含経に詳細に書かれている。
雑阿含経第29巻(No.803)の『安那般那念経(サンユッタニカーヤのAnapanasati-Sutta)』には、四念処法の具体的な実践方法が記されている。これを読めば、大乗仏教の修行が倫理哲学の状況に近く、これでは四沙門果が得られそうにないことが分かる。
哲理と実践の不即不離
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仏教史上、釈尊につぐ重要人物でありながら、正面きって語られることが非常に少ないのがこの龍樹である。その理由は、氏の著作の難しさにつきるといってよいだろう。「空」という大乗仏教の根本を、「縁起」についての革新的な議論を行いながら、時空を越える水準で究めてしまった人の教説である。素人には手の出しようのない領域で、これまで中村元さんの優れた解説書をはじめ多少の関連書は出版されてきたが、やはりとっつきにくさはダントツであった。
本書も、もちろん難しい。ちゃんと読み通すには覚悟が必要である。一般書にしては文献学的な話も細かになされるので、かなり専門的である。だが、とにかく徹底して論じられているし、龍樹の人と思想の全体像についてここまで広い視野で見渡せる著作は、これから当分は出現しないと思うので、少しでも興味のある方はぜひ一読してもらいたい。くり返し読むことになるだろう。
とくに新しいのは、龍樹の生涯、『中論』を主とする「空」に関する論考に加えて、龍樹による菩薩の「実践論」についてもかなり詳しく述べられているところだろうか。著者いわく、あの深遠な哲学は、他者に向けられた慈悲の実践と密接につながっているのであって、どちらも他方を軽視しては骨抜きになるという事だ。苦悩する自己の内面を掘り下げ思考することが、そのまま他者への共感にむかい、そして共に救済されるのが大乗仏教なのであると。本書を読み終えた後、よく納得できる主張であった。