因果は巡る
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歴史に「もし」はない。
だが、もし幕末、遥かスコットランドから一人の若者が長崎に到着することがなければ、我々は全く別の歴史を持つことになったかもしれない。
本書は多くの倒幕の志士を育て支援し、明治維新を実現させた有能な武器商人トーマス・グラバーと息子倉場富三郎の簡潔な伝記である。
彼が開拓した人脈は誠にすさまじい。彼のおぜん立てで密かに欧州に旅立った伊藤博文や井上馨を始めとして、土佐の龍馬や後藤、さらに三菱財閥の始祖岩崎、森有礼、陸奥宗光、五代友厚、明治の元勲の殆どが彼の支援を受けている。後年「自分は終始、徳川政府の最大の反逆人であったと思っている」と述懐しているがそのとおりだろう。将軍慶喜に共感した英国公使パークスを最終的には薩長寄りにしたことも大きい。
長崎から上海へは、江戸に向かうより近い。武器弾薬,艦船は自由に調達できた。
何故西南雄藩を支援したか? 根底は商売だったろう。幕府管轄下の出島での商いでは制限が多すぎる。自由な商取引の為には幕藩体制は打破されねばならぬ。倒幕・日本の近代化を熱心に語る志士たちに耳傾けながら、彼は冷徹に算盤をはじいていた。
革命は成った。新政府は殖産興業に邁進する。造船・炭鉱開発、商機はいくらでもある。日清・日露も勝利した。がおごった国は日中・太平洋戦争に突入する。グラバーがおぜん立てした近代日本は軍国主義国家となった。
息子富三郎は政商の父とは肌合いの違う温和な紳士だ。長崎を愛し、日英のかけ橋たるべく努めている。が戦時下、官憲の監視にさらされ、戦艦武蔵建造を見下ろす高台のグラバー邸からは立ち退きを求められる。最愛の長崎に原爆が投下されてまもなく彼は自殺する。
父が準備した日本の近代は軍国化の道をたどり、最愛の息子を死に追いやった。
武器商売で栄華を誇った父と、敗戦で自殺する息子。観光スポットグラバー邸の主たちの生涯の明暗はこの国がたどった道の縮図である。