京の名庭園に植治あり
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尼崎博正氏が本書の13ページで「日本の庭園史上、特筆すべき造園家が三人いる。中世の夢想国師、近世の小堀遠州、そして近代庭園の先駆者、植治こと七代目小川治兵衞である」と言いきっています。この考え方は大げさではなく、京都にある有名庭園で小川治兵衞の手になるものがいかに多いかということは、京都通なら理解してもらえるところでしょう。
本書は植治の名庭園を田畑みなお氏の美しい写真と白幡洋三郎氏の監修による丁寧な解説で紹介しています。全ページに欧文が併記してあり、日本の庭園美に関心のある海外の読者にも理解してもらえる編集で、日本庭園美の神髄を世界に紹介する役目も果たしているでしょう。
取り上げられた庭園は、並河靖之七宝記念館庭園 無鄰庵庭園 平安神宮神苑 何有荘庭園(旧和楽庵) 円山公園 碧雲荘庭園 高台寺土井庭園(旧十牛庵) 「葵殿庭園」と「佳水園庭園」(ウェスティン都ホテル京都)でした。碧雲荘と何有荘庭園以外は訪れましたが、いずれもその地形の特徴を生かしながら借景とすべき景観の取り入れ方、自然な石組など王道ともいえる庭園美が展開してあります。
南禅寺周辺に点在している邸宅群のほとんどが植治の作庭になります。疏水を巧みに邸宅に取り入れ、自然との調和を図る術はなかなか他では見られない特徴を備えています。
本書では紹介してありませんが、慶沢園(旧住友家本邸庭園)、高瀬川源流庭苑(旧角倉了以邸・山縣有朋別邸)なども流石植治と言いたくなるような巧みさが感じられる名園です。
植治の魅力を余すところなく読者に伝える役目を果たしており、企画と解説、写真の全てが上手く組み合わさった出版でしょう。
田畑みなお氏の写真あってこそ
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庭に関心を持ち始めた当初、遥か外国の洋風ガーデンに憧れ、そこでガーデンデザインの言葉を知り、ガーデンデザイナーの存在を知った。
何人かの事跡を学んだ。
そしてある時、日本のガーデンデザイナーを問われたが、知る名前は小堀遠州のみであった。
数年が過ぎ、やっと日本庭園への関心も芽生え、入門の概説書などを手に取るようになった。
そして植治=小川治兵衛の名前を知り、その作品を見たいと思った。
どんな庭を作ったのか。それはどこにあるのか。
最初の発見は伊東図書館の書棚であった。そこに植治の本が2冊あった。
「植治の庭−小川治兵衛の世界」(尼崎博正 淡交社 1990年 16000円)
「石と水の意匠−植治の造園技法」「尼崎博正 淡交社 1992年 16000円)
どちらも大判の、値段の高い本である。
私なりに熟読し、初めて「無鄰庵」「対龍山荘」「織宝苑」「碧雲荘」などの名前を知った。
名前を知っても簡単に野人の行ける場所ではない。見るのは写真のみである。
そしてその写真のどこにも<田畑みなお>の名前があった。
もう6、7年前になるか。
当時伊東市内のまちづくり関係団体をまとめようとする動きがあり、伊豆ガーデニングクラブもその中にあったが中心となっていたのが「まち懇伊東」(現在「NPOまちこん伊東」)であり、その事務局長が田畑みなお氏であった。
あれ、これがあの写真を撮った田畑さんか、と調べてみるとどうやらそうらしい。
あんな素晴らしい写真を撮る人がこんな雑用をしていていいものか、と半ば憤慨して見ていたのだが、彼は相変わらず地味にその仕事を今に続けている。
私はせめて尊敬の気持ちを表わすために、伊豆ガーデニングクラブの月例会の講師をお願いした。
演題は「庭の写真の撮り方」。
しかし当代きっての庭の写真家と、素人の庭好きの集まりと意識が合うはずがない。田畑さんも何を話したらいいのか判らない風であった。
唯一覚えているのは撮影の前の庭の掃除のことである。
さて、このほど「植治−七代目小川治兵衛」(写真・田畑みなお 監修・白幡洋三郎 京都通信社 08・3刊 2500円)が発刊された。
特筆すべきはこの表紙である。
題名に続くのは、「写真・田畑みなお」の文字である。添付写真をご覧あれ。
純写真集ならいざ知らず、1冊の本でまず最初に写真家の名前が出されるのは異例ではないのか。
ことほどさように、この本における田畑みなおの写真の存在感が大きいのである。
彼の写真あってこそこの書が成り立っている。
中身のことはもう言うまい。
この書が2500円で買えるのは奇跡である。
ぜひご購入あれ。
私は重岡建治氏と田畑みなお氏の2人だけが伊東市在住のワールド・クラスのアーチストだと思っている。