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頼朝の天下草創 日本の歴史09 (講談社学術文庫)

価格: ¥1,260
カテゴリ: 文庫
ブランド: 講談社
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東国政権から全国政権へ ★★★★☆
 本書は1946年に生まれた日本中世法制史・思想史研究者が、2001年に日本の通史の一巻として刊行した本を僅かな訂正の上で文庫化したものであり、1180〜1262年を扱う。鎌倉幕府は衰退しつつあった京都の天皇・上皇中心の政治体制に対する、初めての組織された異議申し立てであり、西日本の貴族に対する東日本の武士の反攻であった。少年期を京都で過ごし、全国的な視野を持ちながら、それ以降を東国で過ごし、在地武士の心情を理解し得た源頼朝は、梶原景時らを活用し、情報力を駆使した適切な政治的配慮により東西の御家人を組織し、政敵を次々と倒して背後の奥州までを押さえ、東国を中心とした鎌倉幕府を開いたのである。幕府は政治的フィクションとしての御家人制と、守護・地頭制という二重の組織原理を持ち、軍事的機能性を重視した簡素な機構を設置した。しかし、頼朝死後の源氏将軍家の内紛の中、頼朝の妻政子は尼将軍として幕府の実権を握りつつ、女系原理を通じて実家北条氏の地位拡大を追求した(当時の女性の地位の高さを反映している)。この北条氏の支配に反発する人々を糾合した承久の乱は、かえって北条氏の支配を安定させ、幕府の支配圏を西国まで拡大し(ただし本格的には蒙古襲来以降)、東西の人的交流を活発化させ、朝廷の権威を失墜させた。政子の死後、北条泰時は御成敗式目制定を通じて訴訟処理の非人格化を進め、幕府の基礎を固めた。その後も怨霊の恐怖や藤原将軍の側近勢力との抗争に北条氏は悩まされるが、時頼の代から得宗専制体制への傾向が見られ始め、ここに北条氏による執権政治が確立する。本書は古代末期の内乱からこうした新しい秩序が形成される過程を、主として政治史を中心に(鎌倉都市史、女性の地位、鎌倉新仏教についても、まとめて一章を割いて述べられているが)描いている。
さながら卒論集成 ★★☆☆☆
それは以前には高く評価された −目くじら立てることもないのだが、誉めちぎるほどのことでもないかと− ものが文庫版になったからということに起因しない。
先達の優れた数々の成果を前にしての執筆者の言う“観念の冒険”を別の意味で確認できる著作。
論考と言うよりは雑駁な寄せ集め乃至ジャーナリズム。
パーソナリティ重視によって社会状況は後退させられ、触れても散漫・冗長であり、この時期を通しての全体の動向が明瞭に浮かび上がってくることはない(武士階級の意思の体現というより、幕府首脳部がどのように武士を編成していったかというほうに重心がおかれていたりするためでもあろう)。また人物描写に依存する以上、著述における憶測の比率がこの種の本にしてはあまりに多すぎる。
背表紙にある「鎌倉前期の時代像」という表現は寧ろ「〜人物像」というのがふさわしい。
また魅力的(!)な用語法も特徴の一つ(「富の再分配装置としての地頭制」など)。
御家人制を「古代国家の組織原理と異なった臣下の組織原理」(p.83)としながら、一方で「直接的・人格的関係から抽象された忠誠原理」(p.86)とする首尾一貫性の無さとも思える記載も気になる(この点むしろ7卷の「武士の成長と院政」のほうが的確と思われる)。言葉の指す人的関係性を便宜的に読み替えて(同音異義語)、革新性を専断するかのようなアクロバティックな手法をみるにつけ、識者がものしているとは俄に信じがたいのである。
武士の依拠する所を、頼朝個人に対する私的な信頼から組織・制度 −極論してしまえば、等しく権利と義務を受けることの出来る新たな身分を創出し、契約によって自発的にそこへ参加することが出来る− そのものへと暫時移行させたということを言うのに、頁の分量との割が合わないような印象。
承久の乱の「戦後処理」の淡泊な記載、北条一門による高ポストの占有化を得宗専制の萌芽とする提示(p.299)、深化することのない問題提起なども違和感をおぼえる。
専門家に向けられた文体かといえばそうでも無いにも拘わらず、とかく「原理」(たぶん様式・形式・前提などで置き換えてもよさそう;これに限らないのだが)という用語を分かり切ったように用いている。それが人口に膾炙しているかどうか、見解の一致をみたものか、果たしてそういう表現方法なのか、どこにも答えを見いだせない。曖昧な語彙を並べてみたところでそれは空疎な陳述であろう。
まったく皮相的であるが故にタイトルの「天下草創」は今で言う「政権交代」の読み間違いではないかと。そして鎌倉前期の通史ではなく人物列伝と見なすなら「頼朝とその後継者たち」とすべきではないだろうか。
おそらく当時の人々の心性だけに止めておけばよかったろうが、こうした方法を政治面にも援用したことは明らかに失敗である。
先行の7卷と続く10,11卷の感心させられるところの多い労作の読後では、内容、構成もさることながら筆力の見劣りを否めない。
それは独自性を意識しすぎた結果ではないかと。独創性が強いという点で初心者の出発点とする基本的資料とするには抵抗を感じざるを得ない(どこかの雑誌への投稿記事であるなら別だが)。