鉄道忌避「伝説」を「技術や史料」をもとに否定した本
★★★★☆
本書は、鉄道忌避伝説を否定した本である。明治初期の鉄道が宿場町を通らずに敷設されたのは、宿場町の住人が反対したからではなく、鉄道技術・土木技術上の制約があったからだと論じられている。また鉄道忌避伝説が広まった原因として、地方史や小学校副読本で、鉄道忌避伝説がとりあげられたことを挙げている。
著者の主張は、当時の敷設計画案・住人の請願書・当時の土木技術史料・当時の市街地分布図・地形図などを分析する形で行われている。「この勾配では汽車は走れない」「当時の土木技術ではこういう地形に鉄道を敷くことができない」といった技術的側面からのアプローチ、「所有権上の問題から市街地の中に通すことはできないが、できるだけ市街地の近くを通すように請願していた」「元々通す計画がなかったのに、てぎるだけ近くに駅を通すように請願していた」といった史料分析アプローチの両面から、鉄道忌避伝説が嘘であることを明らかにしている。「鉄道会社史」の側面が強かった鉄道史に、地理学・歴史学・土木工学的な視点が加えられた点が面白いだろう。
私がこの本に興味を持ったのは、鉄道忌避伝説の例として岡崎をとりあげていたからである。岡崎の鉄道忌避伝説については、地元住人ということもあり、色々聞いたり読んだりしたことがある。だが、大正時代に建設された今の名古屋鉄道(本書図中の大平川と丘陵地の間を走る)が、当時の市街地を外れた街はずれを選んでいることから、伝説に疑問を思いつづけていたのだ。本書は、勾配上東海道沿に設置できない点や、無理矢理岡崎に近づけた形跡がある点などを証拠に伝説を否定した。長年の疑問を解消してくれた、納得のいく結論と論旨である。
誤った伝説が教科書の「事実」として断定的に教えられるまで
★★★★☆
著者の論旨を要約すれば「日本における草創期の鉄道敷設に関して最優先する要素は、決して沿線住民の利害や都合などではなく、当時の建設技術や地形的制約である」となるだろう。しかし、それらを無視したいい加減な鉄道忌避伝説がまことしやかに一般人に敷衍したのはなぜか。
第一には、著名な歴史・地理学者らの鉄道史学軽視の態度である。著者は、きちんとした考証を全く欠いた数多い忌避伝説を「事実無根」として看破する。第二として、地方史誌の執筆者が、地域の鉄道に関する目分量で測ったようないい加減で非科学的な創作を行い、さらにそれらに対する盲目的で都合のいい追認と再生産、それを教科書化のうえ事実として学校で教え込む(それを教える先生方がむしろ率先して「伝説」を信じこんでいるから始末に悪い)ことが原因だと主張した。
実際、私自身もそれに類する教育?を受けたような記憶がある。これらの無責任な「史料や考証を無視した非科学的な事実」を無条件に飲み込ませる「教育」が今日も現場で行われてはいないだろうか。
一般の人が読むべき名書
★★★★★
鉄道忌避伝説のほとんどが事実と反するということを述べた本である。
氏は大学の先生ではあるが、理学博士号もきちんと取られ、東京学芸大で長年交通経済学などを教えておられたかなり有名な方である。大学の先生の書く鉄道関係の本には思索や思想といった観念論をベースとしていい加減に書き飛ばされた書物も数多いが、氏は理科系出身らしく地理学や経済学、時には鉄道土木の話を交えながら、史料をもとに論理的な解説をされている。大学の先生らしく多少難しいきらいはあるが最後まで読めば鉄道忌避伝説のほとんどが事実と反することがわかるだろう。鉄道ルートの選定には地形が最優先の要素であり、急勾配や急曲線を避けることが常識であり、決して鉄道忌避があったからそのルートが決まったわけではないことがよくわかった。
そして、面白いことには、鉄道忌避伝説が信じられる過程において、地方史に基づく小学校からの学校教育があるとしており、これには学校の先生の無知と思い込みがあるとしている。先生には悪意や恣意性はもちろんないのだが、子供のころからの思想教育がいかに恐ろしいものかがよくわかった。
この中で氏は鉄道忌避伝説の例外として伊勢神宮へ通じる参宮鉄道(現JR東海参宮線)をあげており、そのなかで松阪や斎宮の人々の「参拝は遊びであり、そのための鉄道は急いで作る必要がない。」という主張には興味をそそられた。伊勢神宮は天皇家の神宮であり、そのようなことを言って、不敬罪や国家反逆罪には問われなかったのか。戦前の天皇は絶対権力者と書いている書物もあるので、明治天皇や明治天皇を崇拝する昭和天皇によってこれらの人はいじめられたのかと思うとちょっとかわいそうである。
ともあれ、これは鉄道マニアよりも一般の人が読むべき名書である。