ひとつの誠実な異文化接触のルポルタージュ
★★★★★
著者が30代前半のころの韓国旅行記。才気とユーモアに溢れた文章である。
韓国と日本は、例の歴史認識問題をはじめとして多くのしがらみを抱えている。それゆえ、著者である関川夏央が旅をした四半世紀前の時代は、韓国に対して、卑屈か尊大か、いずれかの立場をとる書物しか存在していなかったという。軍政下で、情報もまだ少なかったころである。
著者は、そんな「深刻と冷笑をないまぜにした、一見複雑だが、じつは相当に底の浅い表情」に満ちた韓国へのまなざしに対して、否、を唱える。「韓国という場所は、日本人の精神的硬直を誘うようななにかしらを持っているらしいが、そのいずれもが、まったく生産的ではない」と述べ、従来の旅行記とは一線を画した本書を書き上げた。「ひとつの誠実な異文化接触のルポルタージュを書きたかった」という。
そして、ハングルを一から学び、何とか人々とコミュニケーションを図ろうする。その過程が、感動的である。特に第四部は素晴らしい。今度韓国に行くときには持っていこうと思った。
まさに(歴史的)好著
★★★★★
名著と言えば名著だ。この後の「海峡を越えたホームラン」も素晴らしい。
それら作品を通し、等身大の現実の韓国や韓国人が見られるような気にさせられる。
しかし現在の視点でこれらの作品を眺める時、関川の韓国も結局は幻想に過ぎなかった。
むしろ、彼の作品の対極に位置するとも言える小田実「私と朝鮮」との奇妙な共通点に気づく。
「買いかぶり」だ。日本という我が家の荒れ果てた庭に対する幻滅とお隣さんのお庭を
羨ましげに眺める幻想。小田は北を買いかぶり、関川は南を買いかぶっていた。
小田も関川もまんまと騙された韓国だの朝鮮だのと呼ばれるその「もの」が一体何なのか
考えるための歴史的好著だろう。
青春の両国関係
★★★★☆
ソウルの練習問題とはうまくいったものだ。本当の問題は確かにもう少し違う時期に解かなければならないのだろう。そういう練習として、この本の問題を一緒に解いてみる。もちろん練習問題である。解けなかった問題は、宿題として忘れずにおこう。そして少しずつでも解けるようになったら、自分の目でもう一度本題にチャレンジしてみよう。僕等の問題としての韓国は存在するし、僕等はたぶん紛れもなく当事者である。政治家が国の関係を決定付けることで、この国同士をいつも不幸にもっていってしまう。恐らく政治が後を追うというのが、人との関係のありようなのではなかろうか。翻弄されずに自分で向き合ったり付き合ったりするうちに、練習問題は必要がなくなっていくのである。
隣国を知るのに最適な紀行エッセイ
★★★★★
韓国のことを知るのに最適なエッセイだと思う。書かれた時期が80年代なので、情報としては古いのだが、本質的な部分は今でも新鮮だ。近年の韓流ブームで、日本の韓国観は好転したが、それでもまだ表層的だと思う。「ソウルの練習問題」はそんな表面的なことよりも、韓国人と韓国社会が抱える深い部分(民族性や歴史観など)をきちんと描き出していて、秀逸だと思う。多分、戦後に書かれた韓国論としては最高傑作だろう。韓国に旅行に行く人にとって一読の価値は絶対にあると思う。