白川総裁を馘首、投獄せよ
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2001・1〜2009・10
筆者の見るところ、日銀はデフレ経済にしている「確信犯」です。
というのは、日銀は消費者物価(除く生鮮食品)を0〜2%にするような金融政策を運営しているといいますが、
実際には、消費者物価(除くエネルギー・食品)がマイナス1〜0%になるように金融政策を行なってきました。
一方、他の先進国は、消費者物価(除くエネルギー・食品)が1〜3%になるように金融政策を行なっているので、
明らかに日本は「デフレ経済」指向の金融政策です。この結果、
名目成長率(GDPの伸び率)が先進国最低クラスを十年間も続けたり、常に円高圧力にさらされたりしてきたのです。
2006年からの金融引き締めの担当者は現総裁の白川筆頭理事です。
彼は2006−07年、2008年、2009年と連続して三度のミスを犯しているのですが、
会見では薄笑いを浮かべて恥じる様子もありません。ただ、ここまで繰り返すのは、単なるミスではなく、
確信犯であると思えてならないのです。
皮肉をこめていえば、日銀は世界でもっとも物価管理能力のある中央銀行です。
ただし、その目標ゾーンが狂っています。「マイナス1〜0%」ではなく「1〜2%」と、
2%ポイントほど上に設定すべきなのです。
もし日銀批判でもしようものなら、大きなペナルティが待っているのです。
これについては日銀職員なら誰でも知っている有名な話があります。
ある日職員が、経済雑誌に「日銀は長期国債を大量に買うべし」という論文を発表したところ、
貨幣を洗浄する部署に異動させられたのです。たとえ政策論であっても、日銀が国債を買うのは、
財政を支援する=財務省の手先となる悪辣な行為なのです。
こうした日銀の掟を破る者は、見せしめにあうわけです。
27頁 8行目
誤)マイナス1.7% ⇒ 正)プラス1.7%
現実の日本経済を言語化し、解釈可能にして、問題解決策を提示
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「問題点はデフレ。解決法は実質金利を下げることで、対処方法は日銀法を改正して、日銀の過度な独立性を廃して、インフレターゲットに沿った金融政策をとらせること」というのが著者の主張。タイトルの『日本経済のウソ』は、日銀が御用学者などに語らせている「量的緩和はマクロ経済効果がない」というのはウソであり、中央銀行の独立性というのは通常、世界では手段のみで、目標の独立性までは与えられていないというのが世界の常識だという意味。
著者が大蔵出身ということを差し引いても、金融機関に日銀OBが大量に天下りしているのはインフレ目標などの情報を日銀から得るためであり、学者さんに研究費出して日銀の意向に沿った論文を書かせ、大マスコミにはリークを通じて思惑通りの記事を書かせるという日銀の手法は感心しません。それで、問題がなければいいんでしょうが、日銀はバブル崩壊後の20年間の金融政策をことごとく失敗しており、普通の上場企業ならば、損害賠償請求を受けていることは確実ではないでしょうか。
日銀は量的緩和には消極的ですが、ゼロ金利下でも量的緩和を続ければ《名目金利が低くなる一方で、一般物価の将来予想は高くなります。つまり、実質金利(名目金利から予想物価上昇率=予想インフレ率を差し引いた金利)は低く》なり(p.26)、それによって実質金利をマイナスにでき、設備投資を促すことができる、と。しかし、今は実質金利がアメリカより高いし、物価が安くなると円高圧力がかかっている(p.27、36)。つまり、日銀はデフレ経済と円高の確信犯だと著者は結論づけます。だから日本もテイラー・ルールに従ってやるべし、と。20年間、ロクな政策も打ってこずに、日銀は守りに徹して失敗したのですから、インフレ目標は国が設定し、中央銀行は手段だけの独立性を持つべきというのは納得できます。
「郵政見直し」正しいのは小泉さんか亀井さんか民主党さんか。一番大きい大きい活字が「勝間和代氏推薦」なのにはがっくり
★★☆☆☆
かくして日本振興銀行は破綻した。
著者の高橋洋一氏は、旧大蔵省の官僚を経て、
小泉政権下では、経済財政担当大臣などを務めた竹中平蔵氏に仕えて手腕を揮った。
金融工学などの専門家で、増税する前に、まず政府の無駄な出費を減らすことが必須だとする、
上げ潮派の論客である。
たとえば 、郵政民営化だが、小泉案がもっと優れており、亀井案は全くダメ、
民主党案はその中間だとするが、民営化の理由として最も大切だったのは
巨額の郵貯簡保マネーを国や、政治家が、借金のために使うということをなくそうという考え方であったのではないかと思うが、
そのことには少しも触れない。なぜだろう。国債はじゃぶじゃぶ発行されて国は借金漬けのままである。
さらに、本書では「日本は国家として破綻する」「増税しても景気は良くなる」などの言説が「ウソである」
ことを述べているが、あの小泉改革がもたらし今も続く痛みは何だったのかと思うと
いまひとつ素直にこれらの論に賛成できないのである。
なお、この本の帯で最も大きい活字は「勝間和代氏推薦」であった。