いわゆる「弱小大学」の内部を明らかにする大学教育論
★★★★☆
筆者は、霊長類研究の第一人者として、長く京都大学で教鞭をとられて
きた方である。京都大学を退職後、中京圏の私立大学に学部長として招聘
された。
本書は、偏差値ランク表でいわゆる「Eランク、Fランク」と評される大学
を「弱小大学」と呼び、少子化の中今後も増え続けるであろう、こういった
大学の内部事情や、こういった大学で勤める教員として果たすべき重要な役割
とは何なのか、学生の気質や目的意識の実情はどのようなものか等について、
主としてエッセイ風にまとめたものである。
もちろん「弱小大学」といっても高等教育機関であり、その名に沿うような
教育をすべきかもしれない、という葛藤もあるが、前任校の京都大学とあまり
にもかけ離れている現任校の現状を目の当たりにして、現実的な議論が中心
となっている。
大学の世界は一般に閉ざされていて、外部の人にはその内情は知る術がないが、
そのような内部事情を開示し、今後の日本でますます問題になるであろう
大学の在り方について中庸的に意見を知ることができる本である。
無知からの出発
★★★★★
この本で何よりも重要なのはおそらく、第1章である。そこでまず書かれているのは、京都大学の研究所という恵まれた研究環境にあって、優秀な同僚研究者や大学院生に恵まれてきた第一線の研究者が、いかに世間知らずで研究バカだったのかという赤裸々な実録である。のみならず、京都大学退官後の再就職先の大学を選ぶくだりに至っては、世間知らずを通り越した「ただのバカ」と言っても過言ではない。
(だから実際、著者がその実態をよく知らない他大学―例えば女子大や宗教系大学―についての著者のコメントは噴飯ものであり、正直言って取り合うに値しない。)
しかし、著者の偉さは、その先にある。上記のごとき無知からスタートした著者は、奉職することになった私立地方弱小大学の(ある意味で世間的にはありふれた)実態に取り組む。そしてその実態を赤裸々に語るとともに、そうした現実に泥臭く向き合い、学生にとって何とか意味ある空間を作り上げようと努力と重ね、試行錯誤を繰り返す。現場主義で研究してきた著者は、その経験も踏まえつつ、大学の現場からの発信を試みているように思う。その意味で、著者の研究と教育は分離したものではなく、机上の空論にはない説得力を持っている。
これから大学教員を目指す人には、一読の価値がある本である。また、東海学園大学の経営陣や学生は、このような学部長を戴いたことを誇りに思っていいのではないだろうか。
どんな大学でもこのような教員を求めています
★★★★★
京都大学で霊長類の研究者としてかなりの地位にあった著者。
新設の地方小規模私大の学部長となり、あまりの落差に大ショックを受けつつもくじけず無気力・低学力・非常識な学生相手にやる気を起こさせるように全身全霊のチャレンジを繰り返す奮戦記。
新設大学に学長や学部長として招聘される有名大学の有力教授は単なる「客寄せパンダ」「お客様」的な態度をとるか、とらされるものだと思っていました。(むろん大した権限も付与されていないことが多い)大学全入時代となって地方の新設大学などは何がしたいのかわからない、何のために大学に入るのかも考えていない学生の比率が多く、(現代では有名大学にもこのような輩はそこそこ存在するのだが)授業中は私語・携帯メール・化粧・爆睡のオンパレード・・・。著者による質問タイム・話術・イベント・学生目線での話しかけと、そのくそまじめさと涙ぐましい努力にはただただ敬服する。
ただ、ほかの教員、学長、理事長などの協力がなければただの「空回り」となってしまい「討ち死に」「燃え尽き」の危険性があることも指摘しています。
学生の基礎学力不足もさることながら目的意識のなさは小中高でのキャリア教育の不足による「夢」や「こころざし」の欠落、家庭での「しつけ」の悪さ原因と思われます。努力せずに結果を求める「一攫千金型」「濡れ手に粟」型思考。イベントやセミナーを開催しても「単位になるなら行くが、単位にならないのなら行かない」という代価要求型思考。全てに受け身で自発性・自主性がない等どこの大学も似たような状況だと感じました。大学全入時代だけが原因ではなく、家庭教育・キャリア設計などをしっかりやらなければどの大学でもこうなるという警告も感じました。
新書は装丁や判型による差別化ができず、営業サイドの都合でどうしてもインパクトのあるタイトルになってしまうので誤解されそうですが、高校生にもお勧めの良書です。
教育関係者必読
★★★★☆
サル学で有名な京大の霊長研から定年後、ある地方弱小私立大学の学部長として赴任した著者の体験記を軸に、現在の弱小大学の機能不全を告発し、そのあるべき姿を模索する。
教員の注意もおかまいなしに友人との私語にふける、携帯を玩ぶ、頻繁に教室を出入りするといった授業風景は、もはや高偏差値大学においても常態化している。だが、著者の言う弱小大学には、さらに学生の無気力・無目的が付け加わる。かたや、入試制度改革、スポーツ推薦、留学生などあれこれ手段を弄して学生確保にばかり奔走し、大学の本来の目的である研究や教育には無関心の経営陣。研究中心の人生を歩んできた著者にはさぞや驚きであったことだろう。いくら打てども響かない学生と、締め付けと要求ばかりを厳しくする経営陣の狭間に立たされ、無力感のもと日々をやり過ごすか、有名大学への移動を夢見て自分の研究に励むより仕方のない、弱小大学教員の現状。その中にあって、へこたれずに奮闘する著者の姿は純粋な感動を誘う。
著者によれば、現代日本の弱小大学の使命は、学生に「大学生活の目的を持たせ、心身を集中できる何かを探させること」を通じて、「これからの生き方を模索し、身につけ」させることにある。このような視点から本書は、教員・経営者・事務局・学長の果たすべき役割や責任に切り込んでいき、最終的に「大学は学生のためにある」という基本姿勢の再確認の必要性を訴える。大学が徐々に淘汰されて行く過程にある今日、弱小大学に存続の意義を認める著者の主張は明らかに時代の趨勢に逆行するものであり、高等教育機関としての大学の使命からも逸脱している。また、学生の教育法について格別な訓練や資格を得ているわけではない大学教員が、本当に上記の役割の適切な担い手であるかどうかにも、疑問の余地は残る。確かに研究・教育機関としての大学のあり方についてはさらに広い視角からの検討が必要であろうが、弱小大学がそのような役割を担わざるをえないという現状は、翻えせば大学入学に至るまでの教育制度・環境においてすでに深刻な機能不全が生じているという事実を示唆している。その意味で、本書は、多くの教育関係者にぜひ我がこととして捉えてもらいたい問題を告発しているとも言えよう。
身につまされる
★★★★☆
いやぁ、これはかなり面白、というか身につまされると言うか、刺激的な本です。
霊長類研究所の所長をつとめてみえた、杉山先生が、東海地方に新設された先生の言うE・Fランク私立大学の新設学部の学部長として赴任。
初めて見た底辺校の現状!
とにかく、多くの大学人に、そして学生に、読んで欲しいもんです。
痛い話しばっかですわぁ。
ちなみに、そこまで底辺校でなくても、大学の教員側はどこもかもひどいもんばっかですよぉ。
筒井康隆、もう一度そのあたり書いて欲しいね。大学教師は、教師以外の何もできない反社会的人材のたまり場!なんて。いやほんと。