しかしこれはひとつの「文学」として読むべきだろう。
一人の西洋人が極東の文化と対峙し、彼自身の中でそれを消化してゆく過程の記録として。
あるいは、どこかの架空の都市(表徴の帝国)に迷い込んでしまった男の物語として。
この作品を読み終えたときの何とも言い様のない感動は忘れることができないが、それはバルトが捉えた日本文化への郷愁などではなくて、バルト自身に対して、バルトのその真摯な眼差しに対して、文化という名の人々の営為に対して、それを支える全てのエクリチュールに対しての感動であったのだと思う。
これを読んで以降は、バルトの思想というより、むしろ「バルトを“読む”」といった感覚で彼の著作に接している自分に気付く。
ヨーロッパ人が日本を知るきっかけになったのが映画「将軍」であり、かなりエキゾチックに演出された物であった。それを、日常世界でも見出そうとして書かれた物である。現象学の他者思考の実例のようなものである。