日残りて暮るるにまだ遠し
★★★★★
黄昏流星群はすべて読んでいるわけではないが島耕作や加治隆介といった長編と趣がことなるだけで読みきり短編として楽しんでいます。黄昏流星群は終点の見えた、または差し掛かった人の心象にスポットが当てられる。藤沢周平晩年の作品に「三屋清左衛門残日録 (文春文庫)」というのがある。隠居して多忙な半生に区切りがつき、これから始まる生活を残日録という日記に書き記そうと思い立ったくだりから物語は始まっている。
黄昏流星群に描かれる「老い」には醜いとか汚いとか外見的な側面を捉えるのではあまりにさもしかろう、と語っているようだ。過ごしてきた四季、めぐりあった人々。日残りて暮るるにまだ遠し、なのである。人生の今この瞬間が一番若い時と捕らえられれば、過ぎ去った季節に
胸が痛むこともある。遺骨を分け合い愛した男を互いに肴に酒を酌み交わす。沁みるという言葉がぴたりとくると思ったのである。