子供のころに見ていた、思い出の絵に逢える
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軽井沢現代美術館に展示されていた南桂子さんの絵は、どこかでみたことがありました。
オスカー・ワイルドの「幸福な王子」のカバーの絵でした。
さびしげな少女の微笑は、はるか遠くに置いて来てしまった何かを思い出させるような気がします。
美術館のショップで本を買って帰ろうとしたのですが、なぜか南さんのものだけが販売されていませんでした。
唯一見つけたのがこの「ボヌール」でした。
懐かしいあの絵にあえる。至福のひと時をどうぞ。
ポエジーとファンタジーが息づいている銅版画70点+α。不思議な静けさの魅力を感じます
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小鳥、少女、木、町の塔といったモチーフの彼方から、静かなメロディーが聞こえてくるような絵。南 桂子(1911-2004 1954年に渡仏後、28年間をパリで暮らす)の銅版画には、ポエジーとファンタジーが息づいています。秘めやかな音楽が静もり、降り積もっているみたい。不思議な静けさの魅力を感じます。
収録された70点のカラーエッチング(色刷り銅版画)の中には、現在も文庫本の表紙を飾っている絵もあります。オスカー・ワイルドの『幸福な王子』(新潮文庫)のカバー装画の「花と鳥」、梨木香歩の『ぐるりのこと』(新潮文庫)のカバー装画の「公園」などが、そう。
教会の尖塔の上、太陽に向かって二羽の鳥が飛んでいく「教会」。
夜の光のやわらかさ、静けさが、三日月、眠る鳥、首を傾げた少女によって表現された「少女と月」。
離れたふたつの町の間に、不思議な物語が息をひそめているような「2つの町」。
木に生るさくらんぼの実が、まるで音符のように見える「さくらんぼの木」。
冬の海を描いて、静かなメルヘンの情趣をたたえる「時計台」。
紫のお花畑の中にいるふたりの少女の夢が、赤い蝶となってふわりと舞い上がる「2人の少女と蝶」。
なかでも印象に残るこうした銅版画のほか、グワッシュの水彩絵の具で描いた「夜のふくろうとキツネ」、カラーインクで描いた「魚」の絵も、とても素敵でよいなあと思いました。
本書を購入したきっかけは、先日読んだ蜂飼 耳のエッセイ集『秘密のおこない』の中、「南桂子の画集」と題する文章にふれたこと。<独特のさびしさを湛えた銅版画の数々。内気な子どもが、ドアのうしろに隠れて、世界をそっと覗き見ているような雰囲気だ。> これは言い得て妙の至言。うまいこと言うなあ。同感するしかないなあ。
これは、恋みたい…
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こちらを見つめている少女が気になった。紅く可愛らしい花束を抱えた少女。
何気なくページをめくり始めるうちに、気持ちが高揚してくる。鳥に花、お城、そして少女…
静かに存在する画に心をうばわれ、まさに〈ボヌール〉! 恋をしてしまったようだ。
子どもの頃に見て記憶に残っていた「花と鳥」が、南さんの画であったとも知る。
もっと早くに南桂子という銅版画家の存在を知り、追いかけ、夢のような世界に浸りたかったとつくずく想う。 素敵すぎる作品集だ。
キリキリキリ キリキリキリ
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少女を可愛いと評する人が有った。
ただただその人を羨ましいと思った。
彼女は少女に対して面と向かえる強さも有れば可愛いと形容する余裕も持ち合わせている。
私には、ない。
一度に見れるのは頑張って三枚。
画の世界に引き込まれるのではなく、画が飛び出してくる感覚におそわれる。
どこまでも静寂な世界。
どこまでも救いに満ちた世界。
きりきり痛むのは、胸ではない。