たとえばチャン・イーモウ監督の『あの子を探して』に寄せた文章は、おおまかなストーリーを興を削がない程度に紹介し、そこに著者の所見を付け加えるといったシンプルな構成だ。宣伝文めいたあざとさも、いたずらに難解な映画論もそこには見られない。斜に構えることなく、映画の魅力そのものを伝えようとする姿勢に好感を持つ読者も多いはずだ。強いて言えば、非欧米圏の映画の素朴な味わいを賞賛しがちなその論調に注文を付けたくなる向きもあろう。だがミニシアターで上映される映画の多くが、ハリウッド映画には欠ける傾向のある詩情や素朴さを評価されていること、本書では基本的に著者の好む映画を取り上げ、評していることなどを考えれば当然のことでもある。
本書に収録された文章は、その多くが劇場用のパンフレットのために書かれたものである。著者自身、10代のころから映画館でパンフレットを買うことを楽しみにしていたというから、そこには映画館という空間そのものへの愛着も含まれているのだろう。著者の考える映画評とは、1本の作品に寄り添い丁寧に観賞するものであるというが、その狙いどおり読んだら観たくなる、観たら読みたくなる、理想的な映画評論集となっている。(工藤 渉)