人がただの人であることをやめるとき。
★★★★☆
通常シリーズものであるならば、主人公、そして主要キャラが登場して彼らを中心に物語が展開される。しかし、上遠野先生は違う、これは初期の作品から一貫しており、数少ない主役キャラがでずっぱりの作品はむしろ違和感を抱いてしまうほど(そしてつまらないとすら思っている)。
本作品、シリーズにおいても同様。伊佐と千条、そして東澱「家」が主役なのだが、はっきりいって猿回し、滑稽もいいところ。ブギーポップシリーズならば最後に〆るのはブギーポップだが、その役はペイパーカットが演ずる以上、彼(女)らに残されるのはただ振り回される、観察者そしてその過程で彼ら自身の心の傷を少しずつ曝け出す道化者でしかない。
だが、それがいいのだけどね。
おそらく、上遠野先生の作品を総て読んでいるものならば関連性から設定は読み取れて、既にペイパーカットがなにものかとか、最後のオチ、ネタバラシがMPLS誕生(ストレンジデイズに近い)の瞬間だとか分かるのだけれど、それはこの作品の本質ではなくておまけとして知っているものがにやっとするサービスにすぎなくて、西秋有香と双季蓮生のキャビネッセンスの獲得と喪失、そしてそれを永遠のものとした瞬間の、情景の美しさに眩しさや寂寥感を覚えつつしんみりと楽しむといったところでは無いだろうかと。