猫がもっと好きになる話
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猫の気分や気持ちが、猫の姿態やしぐさの描写から、見事に伝わってきます。
作者は俳句に造詣が深いようですが、そのせいでしょうか? 事象を瞬時に切り取ってみせる力量に感心しました。猫をパワーシャベルや、梨のラ・フランセに例える場面など、生身の猫の姿態のイメージが鮮やかに浮かんできます。
情の深い葉子さんと、クールで昼間は他人のように素っ気ないのに夜になると葉子さんのベッドに潜り込んでくる猫との間には、肉親以上の細やかさと、恋人以上の濃密さが漂い、嫉妬さえ感じます。
四六時中猫に翻弄されながらも、猫と自分の年齢対照表を作って、猫が0歳の時わたしは70歳。猫が48歳の時わたしは78歳。お迎えはどちらが先かねえと思案する様子は、可笑しくもあり切なくもあって、胸に響きました。
サブで登場する姪夫婦やヘルパーさん、獣医さんなどのキャラクターもそれぞれに魅力的で、葉子さんのささやかな日常生活に色を添えています。
自由自在にユーモアたっぷりに猫との交流を描きながらも、そこに独り生きる身の葉子さんの人生が見えてくる、そんな小説です。
全ての猫と人生、そして文学を愛する人へ
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人はタイトルからどんな内容を思い浮かべるだろうか?
この作品は、単なるペットとしての猫を対象にしたものではない。
だから、猫を単なる癒しの対象として飼っている人にとっては読み応えがないかも知れない。
独立した存在として人間と対等に扱われている猫、主人公のこれまで生きてきた道、そして生きがいとして持ち続けてきた文学への情熱、それらが見事に渾然と絡み合い、読後感は、荒涼とした荒れ野に佇む人間が、ふう〜っと深いため息を吐き、さあ、もう少し歩いてみようと呟き、また歩き始める、
そんな心象風景を思わせる読後感であった。
犬は人につき、猫は家につくという言い伝えがある。
60をすこし過ぎた世代に属する戦後生まれの小生、これまで3匹の犬を飼った経験があるが、
恐らく人生最後となるであろう、次に飼う機会が
あれば、それは間違いなく猫となるだろう。
いや、猫でなくてはならない。
媚を売らない猫こそ人生のベストパートナーなり。
そう言う思いを強くさせた作品でもある。
中国の詩人、梅堯臣(ばいぎょうしん)の詩「猫ヲ祭ル」
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64歳で定年を迎えるまで働き続け、その間に生活した住まいで数匹の猫と出会う星川葉子さん。文学好きな葉子さんは、図書館で借りた岩波書店の『中国詩人選集』を読んでいて梅堯臣(ばいぎょうしん)の詩「猫ヲ祭ル」に目がとまる。それは五白という猫を飼い、亡くしたときの気持ちを書いたもので、これがなんともしみじみする。
葉子さんは、杉並区に55年住んでいて、そのうちの40年は叔母の家で、その後15年はアパートで暮らしていた。そのどちらの暮らしでも猫とはひとつ屋根の下ではなく、顔見知りくらいな野良猫や「ブス」という猫と関わりをもつ。それからすこし広い家に引っ越し、姪から訳ありで猫をゆずりうける。
葉子さんと猫たち、ブス、アトム、ナイルの関わりが、体温を感じる文章でじんわり心をあったかく、時につめたくする。「生きものの、柔らかなぬくもりから伝わる交流」――姪夫婦、猫の先生、梅堯臣(ばいぎょうしん)の詩から連想する風景、自身が空襲にあった当時のこと――が小説からたちのぼってくる。
いい小説です。